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| 今夜、決行だ。 世間の「お盆」も、一週間ほど過ぎた。この頃の季節感・風俗感のなさは、深刻だ。武繁が小さい頃は、夏の風情として風鈴や、盆の時期に墓参りをする家族連れをよく見かけたものだが、そういうものを、ついぞ見ない。これが世の流れと言ってしまえば、それまでだが、あまりにも味気ない。
 それはともかくも。
 今夜、遂に決行だ。月初めに、県央部の銀行まで出金に行かせて、その間に「麻枝のデスクにある、麻枝が仕込んでいた盗聴器の受信機と録音機の場所」を調べておいた。先日、第二段階といえる「ある行動」を麻枝に取らせておいた。この行動については不審に思われる怖れもあったが、うまく言いくるめることが出来た。
 そして、今日、金曜日。
 別宅の駐車場に麻枝の車が停まる。午後七時を五分ほど過ぎている。しばらくして、ドアが開き、麻枝が入ってきた。
 「前祝い、なんて、気が早いわよ?」
 意味深な笑みで麻枝が言う。
 「ねえ、ガレージに停まってる車、社の車みたいだけど、どうしたの?」
 「ああ、私の車はちょっと調子がおかしくてね、業者に持っていってもらったから。悪いとは思ったんだが、社の車を借りたんだ」
 そう言って、ドアを閉める。周囲に人がいないのを確認しながら。
 リビングで麻枝は薄手のサマージャケットを脱ぎ、ソファの背にかける。そして、ダイニングへ行き、テーブルの上にあるワインボトルと、ワイングラスを見た。しばらくそれを眺めていたが、麻枝は武繁に言った。
 「どうして、いきなり、前祝い、なんてこと、言い出したの?」
 「例の追加クルーズは今週、出航だ。その景気づけだよ。それに次期社長の件も、どうやら、抵抗勢力の動きを封じるあてが出来たしね」
 そう言うと、麻枝はかわらず不敵な笑みで「ふうん」と言うだけ。
 まあいい。いくらでもこちらの動きを不審がるがいい。
 そう思い、パニエに置いたワインボトルを取ろうとして。
 「ワインなら、私が持ってきたから」
 そう言って、持参した紙袋から、買ったばかりの赤ワインを出す。さらに。
 「ワイングラスも、マイグラスを持参したから」
 と、意味ありげに笑ってみせる。
 なるほど、こちらが「別宅で二人で前祝いをしよう」と言った時点で、何かを感じたか。そうは思ったが、それをおくびにも出さず、武繁も苦笑を浮かべて肩をすくめた。
 「わかったよ」
 そして、席に着く。
 自分のグラスと買ってきたワインボトルをテーブルに置き、麻枝は不敵な笑みのまま、言った。
 「気づいてるでしょ、私が仕掛けた盗聴器」
 あえて何も答えず、続きの言葉を待った。
 「あのペンスタンドの裏に、同じ色のプラスチックの板で簡単なフタのようなものを作って、その中に盗聴器を仕掛けておいたの。いうなれば、二重(にじゅう)壁(かべ)ね。……中で盗聴器が横に倒れていたわ。一度、蓋(フタ)が外されて、中のものが動いた証拠」
 「なんだ、そんなものを仕掛けていたのか」
 と言っておいたが、信じたかどうか。
 いずれにせよ、もう計画を止めるわけにはいかない。
 二人は麻枝の持ってきたワインで乾杯した。
 「ワインも持参したもの、グラスも持参したもの。毒物の仕込みようがないわね」
 そう言って、クスリと笑う麻枝を、不覚にもかわいいと思いながらも、武繁は答えた。
 「君は、俺が君を殺す、と本気で思っているのか?」
 「悪魔に殺させようとしたくせに」
 かなりの警戒で臨んできたらしい。
 
 二人で、ワインをボトル半分ほど飲んだところで、麻枝が立ち上がる。
 「今日のところはこれぐらいにしておくわ」
 「おいおい、まだ来たばかりじゃないか」
 時計を見る。午後七時四十分。
 「ごめんなさい。なんだか、胸騒ぎがするの。やっぱり、いきなり『前祝いをしよう』って言い出したのが、気になるのよ。今まで、こんなことなかったもの」
 そして、流しへ行く。
 「……そろそろ浄水アダプター、買い換えたら?」
 「そうだな。明日にでも、買い換えるよ」
 そう言って、麻枝を見る。ワイングラスに、蛇口からの水を注ぎ、飲んでいる。
 「おいおい、水ぐらいで酔いが消えるものか。泊まってけよ」
 「大丈夫よ。グラス一杯だもの。それに、裏道を通れば……」
 そう言って、またグラスに水を注ぎ、飲み干した。
 「あとは、しばらくここで時間を過ごさせてもらうわ。……ああ、食べ物も飲み物もいらないわよ」
 「どこまでも疑り深いんだな、君は」
 と、苦笑いを浮かべ、武繁は自分のグラスにワインを注ぐ。
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