金曜日の午後。武繁が社長室で、企画事業課から提出された、八月の国内周遊、その追加プランの決定稿を確認しているときだった。 「失礼します」 と、麻枝が入ってきた。 「どうした?」 「いかがでしょうか、追加プランの方は?」 「うむ」 と、武繁は答えた。 「告知のことを考えたら、今の時期に八月のプランを確認し直すのは不手際でしかないが。だが、新たな船が都合できるのであれば、それを投入しない方が、得策ではないからな。一プランでも運用した方が、今後のためにはいい」 その追加プランでは「好評につき、クルーズを緊急追加!」のようなコピーを付した日程表があった。名目上、既に告知済みの、あるクルーズプランを、もう一サイクル、追加で販売という体裁をとっている。確かにそのプランは販売後、しばらくして満席となったが、特に「追加要望」が寄せられているわけではない。しかし、そこを「追加の希望があるため」として需要を掘り起こすのが、企業努力というものだ。 「ホテルや、各観光名所との折り合いも、つけられたということだから、これで行こうと思うが。珍しいな、君がこういったことに関心を持つとは?」 そう皮肉ってやると、麻枝が艶然と微笑み、近づいてきて、デスクに腰掛けた。そして、顔を近づけ、囁く。 「悪魔に始末させるなんて、私のことが邪魔になったのかしら?」 肌が粟立ち、全身の毛が逆立つのを感じた。 妖しい笑みで麻枝は言う。 「悪いけど、私、別れる気なんてないから。あなたが乾ホールディングスの社長になるのなら、なおのこと」 「お、お前、どうしてそれを……?」 声が震えてくる。乾ホールディングス次期社長の話は、まだ「いぬいクルーズ」内部で知る者はいないはずだし、ましてや「麻枝を悪魔に始末させる」という、心に秘めた欲望のことなど、誰も知るものはない。 また妖しい笑みを浮かべると、麻枝はデスクから降り、事務的な口調で言った。 「それでは、早めに決裁をお願い致します。各部署が動くのに、相応の時間が必要ですので」 その時、社長室の時計が午後三時のメロディチャイムを鳴らした。 それを聞き、麻枝が言った。 「これと同じ時計、私のマンションの各部屋にも、つけました。これで私の部屋にいるときも、社長室にいるときと同じ緊張感が保てて、いつかのように、奥様にとぼけた返答をせずにすむわね」 いつだったか、妻の寿子から電話がかかってきたとき、慌てていて社長室にいることにしてしまったのだが。うっかりドアチャイムの音(マンション管理組合の者の来訪だった)を拾ってしまって、誤魔化すのに難儀したことがあった。 そして、麻枝は社長室を出て行った。 あとに残った武繁は、しばし、息を整えた。そして、落ち着きを取り戻した頃、冷静に考えた。 「そうか……」 と言いかけて、あわてて口をつぐむ。 あの時、悪魔云々のことについては、うっかり口に出して呟いてしまったような気がする。 だとすると、一度、確認した方がいいだろう。
|
|