観念した俺の耳に、何かが風を切る音が届いた。 そして次の瞬間、目の前の影が爆発するように消滅した。 俺は音が飛んできた方を見る。校舎前の花壇のあたりに、一つの姿があった。五十メートル以上離れているが、はっきりとその姿を捉えることが出来る。それは。 苦しそうな声で、璃依が呟く。 「ケンタウロス……」 そう、確かにそこにいたのは、ギリシア神話に出てくる、半人半馬のケンタウロスだった。その手にあるのは、銀色に輝く弓だった。もしかして、矢を放ったのか? その矢が、影を撃ち抜いたのか? だが、影はもう一体いる。その影が、俺に向かってきたときだった。何かが駆けてくる地響きの音がした。その音が影に突進し、吹っ飛ばす。それは、金色に輝く牛だった。 思わず俺は呟いた。 「今度は牛かよ……」 なんなんだ、ここは牧場か? だが、吹っ飛ばされた影は起き上がって、なおも俺たちに向かってくる。影にとって「敵」は人間らしい。俺は何らかの武器をダウンロードしようと、スマホを操作する。時間稼ぎは璃依がしてくれるようで、俺の前に来て、拳を構えた。だが、それより早く何かが空から降ってきて、手に持った剣で、影を一刀両断にした。 唖然となっている俺たちに、空から降ってきた「何か」が振り返る。そいつは、ギリシア神話の女神が着るような、白い服(あとで調べたら、「ヒマティオン」っていうそうだ)を着た若い美女だった。背中に白い、一対の翼を生やし、右手に剣、左手に天秤を持っている。 一応、礼を言った方がいいんだろうか? そんな風に思って、璃依と顔を見合わせたとき。 『油断かしら? それとも、この程度なの、FACELESSの実力って?』 俺たちに衝撃が走る。こいつはFACELESSを知っている! 声が電子加工してるっぽいとか、そもそも空から降ってきたとか、翼が生えてるとか、いろいろ訳がわからねえ。 志勇吾が険のある声で言った。 「助勢してくれたことは感謝する。お前は一体、何者だ?」 どう考えても、普通の、ていうか、人間じゃねえ。女が志勇吾を見て、一瞬、固まったようだ。 なんだ、どうした? だが、しばらくして、女は取り繕うように言った。 『そ、そうね。……ゾディアックとでも名乗っておくわ』 「ゾディアック……」 俺と璃依は図らずも復唱する。 鮎見が警戒感たっぷりの目で言った。 「あなた、一体、何者?」 今度の「何者」は、名前を聞いたんじゃなく、目的とか、もっとダイレクトに正体とか。 しばらくして、女は答えた。 『今は言わないでおくわ。あなたたちの行動によって、私もするべきことが、かわるから』 意味のわからないことを言い残し、女は、かすむように消えた。 ケンタウロスも、金色の牛も消えていた。 「ねえ、太牙」 璃依が、俺のそばまで来て、俺を見上げる。 「ん? どした?」 俺は左の頬を撫でながら答えた。 「……痛む?」 「え? ああ、まあ、な。でも、これぐらいの痛み、すぐに引く……」 そこまで言ったところで、璃依が俺の頬に、正確には頬に当てている手に、自分の手を重ねた。そして。 「痛かったよね? ごめんね? それから……。……ありがとね」 はにかんだように、そう言った璃依の頬は、夕陽のせいだろうか、紅く染まってるように見えた。
あとで、志勇吾と鮎見が視たところ、あの女たちは西洋神秘学でいわれる人工精霊の一種で、しかも幽体離脱のようなもの(鮎見は「意識同調じゃないか」って言ってた)であの女に意識を移し、動いていたんじゃないかってことだった。 相当、ハイレベルの魔術師だってことだったが、残念ながら素性までは掴めないって事だった。
敵にならねえといいけどな。
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