乾武繁は「いぬいクルーズ株式会社」社長室で、乾誠介の日記を読み返していた。
「昭和四年十一月十五日、金曜日。最後の頼みの綱も切れた。独逸の、旧知の仲の鉄道工、アントン・ドレクスラー君に融資の口利きを依頼した。彼は七、八年ほど前から政治活動を行っており、また、ツーレとかいう政治結社のようなものにも参加しているそうだから、その名前は大きな影響力を持っている。彼が私への融資の賛同を表明してくれれば、他の金満家からの融資も得やすくなるだろう。そう思ったからだった。だが、彼が入っている、労働党とかいう政治団体の内部で何かあったらしく、たいへんな思いをして、融資の口利きどころではないそうだ。もはや、万策尽きた。船を使い、ぐるりと海洋を経巡って、あるいは、陸路に乗り換えて各国の知己を頼ったが、すべてで断られた。亜米利加で起きた経済的騒動のせいで、我が乾鉄鋼、雉谷造船も危うい。私が社長に就任した早々、このようなことになるとは……。かくなる上は、海難事故を装い、その保険金を……。そういえば、身の回りの世話のために、同行させた桃田賀代子が、面白いことを言った。南洋のある国に、財宝が眠っているのだという。帰りは航路を変更して、その国へ行ってみようか。賀代子といえば、賀代子との間に出来た娘、洋子はもうすぐ二歳。目許のあたりが私に似ている気がする。嫡男の高史よりも、よほど愛しい」
「昭和四年十二月二十日、金曜日。なんということか! なんという僥倖か! 私は天を仰いで、感涙にむせび、この胸を裂き開いて、心臓を天の神に捧げよう! 賀代子の言葉を全面的に信じたわけではなかったが、あの国には、確かに財宝があったのだ! いや、金銀そのものではない。その気になれば、いくらでも金銀を生みうる、恐るべき財宝だ! 今日、私の元に電信が届き、融資が急に決まったことを知ったのだ! これで、乾鉄鋼と雉谷造船は助かるのだ! ただ、その財宝を手に入れるために、罪もない子どもを一人、生け贄に捧げたが。生け贄といえば、当地のモー・ピーなる呪術師の助言に従い、契約書の文言には十二分に注意した。だが、それでも、今年を初年として十五年後の昭和十八年には、人間半人分に相当するだけの生命力を、提供しなければならない。その生命力を提供することと引き替えに、これから先、十五年の繁栄が約束されているのだから。さらに、十五年ごとに、生命力を提供せねばならない。そもそも、人間半人分の生命力とは、一体、どれほどの分量なのだろう? ……そうだ。学校を建てよう。そこに通う生徒たちの生命力を集めれば、人間半人分ぐらい、あるだろう」
そこまで読んだとき、内線電話が鳴り、来客のあることを告げた。しばらくしてドアがノックされ、一人の、ロングヘアの若い女性が入ってきた。 「失礼します。社長、雉谷造船船舶管理株式会社・代表取締役の臼井(うすい)様をご案内いたしました」 女性は、社長秘書の桑原(くわばら)麻枝(あさえ)だ。今年で二十八歳。有能で切れ者だが、切れすぎないところがいい。下手に切れすぎる刃物は、手元に置かない方がいい。 「ようこそ、臼井さん」 営業スマイルを浮かべ、臼井に席を勧める。臼井は武繁よりも三歳年下の四十九歳だが、恰幅のいい体格といい、かなり後退した頭髪といい、多くの者が武繁の方を年下と見る。
コーヒーを持ってきた麻枝を退室させ、武繁は用件を切り出した。 「そちらで廃棄予定の船、いいのが見つかったのですね?」 「ええ」 と、臼井は口元に笑みを浮かべる。その笑みは、決してそのようなつもりはないのだろうが、多くの者が「ニタリ」と思うようだ。武繁もそのように思う一人である。 臼井が麻枝が置いて行ったコーヒーを一口すすり、言った。 「三ヶ月前、就航前の試運転の最中に、座礁したフェリーが一隻(いっせき)。船の発注元や監督署には、解体処分の予定と伝えましたし、実際にそのように処理している途中ですが。その資材はまだ廃棄しておりませんのでね、いくつか資材を集めればすぐにでも一隻、デッチ上げることが出来ます。ところで先日は、詳しいことまでは伺いませんでしたが、なぜ、なるべく早く、国内周遊航路用の船が欲しい、などと?」 自虐的な笑いを浮かべて、武繁は答えた。 「海外のクルーズ旅行の需要がメッキリと減ってしまいましてね。うちの基幹事業は大型客船による海外周遊。ですが、この際、小口の国内航路を増やして回転を上げるのが、急場しのぎにいいのではないか、と。しかし、船の新規建造では時間もコストもかかりますから」 「なるほど」 と、また臼井がニタリとする。 「こちらとしても、助かりますよ。せっかく調達した資材、有効に使いませんと」 その時、壁にかけた時計が、午後四時のメロディチャイムを鳴らした。
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