「いぬいクルーズ株式会社」の社長室に、乾(いぬい)武繁(たけしげ)はいた。武繁は五十二歳だが、まだまだ四十代前半でも通じる容姿だ。彼は、普段はここにいることの方が多い。社長業が忙しいからだが、あの学園の生徒会長は、前理事長の孫がつとめている。同じ敷地内にいれば、顔を合わせることもあるだろう。こちらは気にしないが、向こうが気にするかも知れない。それが原因で学業に差し障りが出ては、理事たちから何を言われるか、わかったものではない。 窓から夕景を眺めていると、ドアがノックされた。呼んでおいた者が来たらしい。
来訪者には、用件は伝えた。見返りとして、その者の社内での地位の向上、またその者の娘が医者を目指しているということで、知り合いの医大総長へ紹介状を書き、さらに学費を援助することも約束した。 「ゲーティアの悪魔。にわかには信じがたいが……」 ふと呟き、左手中指にはめた指輪を見る。 あの時現れた「ヴァレフォル」と名乗る存在は、間違いなく人知を超えたものだった。そして、その者と契約の更新をした。これで、また九十年、乾コンツェルンの繁栄は約束されたのだ。 だが、前理事長・猿橋隆典の孫、猿橋零斗が、なにやら妙な動きを見せているらしい。それなりに牽制しておいた方がいいだろう。 そのために、今日、来訪者を呼んだのだ。 間違っても、あの契約書の存在が明らかになってはならない。乾ホールディングスの創業者が魔術に傾倒していた、などということが知れると、「そのような経営理念を継ぐ会社に投資しても大丈夫か?」といった風評が一人歩きをし、どこで信用に関わるかわからない。もちろん、この世界で「縁起担ぎ」をしないものは皆無だし、いわゆる「占い師」「霊能師」と契約している経営者を、武繁は何人か知っている。 問題は、その対象が「悪魔」ということなのだ。ネットに拡散したら、どのような尾ひれがつくか、想像すら出来ない。 まして、乾誠介は実際に一人、「生け贄」として殺しているのだ。 「……いや、間接的だが、もう一人、殺しているか……」 そう呟き、武繁は再び、窓越しに夕空を眺める。 黒い雲がかかっていて、夕陽を見ることは叶わなかった。
(CASE4・了)
おまけ 感覚的にすごく掴みづらいと思いますが(私自身も掴みづらいんですが)、本編の舞台は二〇二一年です。つまり、美台学園高校(正確にはその前身)の創立は一九四三年(戦時中だけど、大目にみてね?)。……ていうか、「契約初年」を一九二九年(世界恐慌の年)にしたんで、計算上、こうなるんです。申し訳ねッス。 あと。「CASE4・8」で璃依が「五倍」と頭の中で繰り返しているシーン。ここでは「二倍程度まで解放できる」としています。いわゆる「火事場の馬鹿力」がどの程度のものかよくわからないので、このような数値を使いました。科学的根拠はありません。あしからず(通常の二倍程度、という説もあります。参考までに)。
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