「儂が昔聞いたところでは、南洋のある国に、Y資金を守り続ける一族がおった。乾はその一族と交渉して、それを手に入れたのだろう」 以前、隆典が「捜すものは、ある種の密約文書だ」みたいなことを(おそらく、うっかり)漏らしたことがあるが。 ひょっとすると、「その一族」とかわした文書だろうか? 「その交渉には、現地のモー・ピーが関わったという」 「モー・ピー?」 聞き慣れない言葉だ。思わず復唱すると、隆典が答えた。 「その南洋国の、呪術師じゃ」 なるほど、その国にいるFACELESSのような連中のことか。零斗はそう思っておくことにした。とりあえず、あのような常識を越えた存在は、いちいち細かにカテゴライズせず、「FACELESSのような連中」でくくっておくに限る。でないと、こちらの脳内にある常識が、壊れかねない。そんなくだらない情報に回せるほど、零斗の脳細胞は暇をもてあましているわけではないのだ。 「これは儂が実際に一人のモー・ピーから聞いたのじゃが。その財宝には、『ピー』と呼ばれる精霊の中でも、特に恐ろしい『ピー・タイ・ホー』が関わっておるらしい」 ここから先は、真面目に聞くのがバカらしかったが、とりあえず、聞いておいた。要点をまとめると、次のようになる。
・その「Y資金」を手に入れると、「ピー・タイ・ホー」が憑いてくる。 ・「ピー・タイ・ホー」に国境はない。 ・しかし、「ピー・タイ・ホー」を避ける方法はある。 ・その方法では、いわゆる『生け贄』……人間の子どもを犠牲にする。 ・普通は犬や猫などの動物や、人形にそれらしいプロフィールをつけて、生け贄の代わりにするが、乾誠介は、効果の確実性と高さを求めて、本当に人間の子どもを生け贄にした。 ・契約文書にはその旨が記され、さらに繁栄を続けるために、数十年に一度、人間の子どもを生け贄にすることを約束する、と記してあるという。
「そして、この国での最初の生け贄が、学園の生徒なのじゃ」 自分でも、眉間にしわが寄ったのがわかった。零斗は思わず口を挟む。 「確か、学園の創立は七十八年前でしたね? その頃、乾誠介の年齢は?」 「六十だったそうじゃ」 「では、仮にその生け贄の周期が十五年だとして、まさか、十五年ごとに学園の生徒を生け贄にしている、とでも?」 にわかには信じられない。もしそうなら、五人程度は学園生徒が死んでいる計算になる。そんな重大事が記録に残らないわけはない。 零斗は、そんな話は知らないのだ。 隆典は深く頷いた。 「儂が話を聞いたモー・ピーによると、その生け贄の儀式には、ある『抜け道』があるらしい」 「抜け道、ですか……」 「うむ」と頷いて、隆典は言った。 「契約を交わす際に、『生け贄』という直接的な表現を使わず、『ひと一人分の生命力』のようなあいまいな言い方でも、有効なのだそうじゃ。じゃが、それでも最初の一人だけは、人間一人の命でないと、ならぬらしい。そうであろうなあ、Y資金を手に入れるときと、手に入れたあとでそれを運用するのとでは、事情が違う」 「生命力」という単語を聞いたとき、零斗の脳裏に、なんとなく閃くものがあったが、それを深く考察する前に、隆典が言った。 「そのような文書が明らかになれば、乾一族の信用は、ガタ落ちじゃ。実際に、七十八年前に、一人、死んでおるからのう」 「……それは本当ですか?」 少し驚いた。 「うむ。病気で休学した後(のち)に、死んでおるが。……その者の名は桃田(ももた)洋子(ようこ)。誠介が愛人に生ませた娘じゃ」 ちょっとした衝撃が零斗を貫いた。 「仮に文書が妄想の元に書かれたものであったとしても、実際に娘が死んでおったら、誰もが関連づけるわ。……その文書、なんとしても探し出せ。儂を追い落としおった乾一族を、今度はこちらがどん底にたたき落としてくれる!」 零斗は正座したまま、深々と頭を下げた。
部屋を辞して、零斗は思った。 おそらく「Y資金」の話は眉唾だろう。そのモー・ピーとかいうFACELESSのような輩(やから)も、観光客相手に、地元に伝わる埋蔵金伝説の類いを、面白おかしく吹聴したのに違いない。 よくある話だ。零斗自身も中学二年の頃、旅行した先の国で、「北の国で起きた革命時に亡命した王女が、この国で結婚し、子孫が今も暮らしている」というのを聞いたことがある。その時は信じたが、翌年また行ってみると、定住した場所やお供の者の人数、さらには、子孫の名前まで変わっていた。どうやら、時流に合わせ、アップデートされていくらしい。 だが。 「生命力……昏睡……衰弱……。もしかしたら、七不思議事件の根っこにあるモノ……」 もしそうなら。 「猿橋のご当主に持っていくより、乾に持っていった方が、旨みがありそうだな……」 思わず緩んだ口元を引き締め、零斗は父の秘書が待つ駐車場へと向かった。
「しかし、爺さんも、もうろくが進んだな」 学園創立が七十八年前、その時、乾誠介は六十歳。四十五、六歳の時に「財宝」を手にしたとしたら、十五年、加算。合わせて九十三年。「Y資金」だとしたら計算が合わない。「戦時中」どころか、戦争が始まってさえいないのだ。 こんな簡単な計算が出来ないあたり、理事長職を逐われても仕方のない気もする。 「やはり、『アーク』は猿橋へ持っていくよりも……」 一度引き締めた口元が再び緩む。運転手が奇異な目で零斗を見ていたが、気にしないことにした。
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