深夜。 本校舎の屋上に、白い一群がにじみ出るように出現した。そして、それぞれが勝手に何事か唄い始めたとき。 ハウリングの音が響いた。もちろんこの一群は動じちゃいない。そしてハウリングの後。 「続きまして、美台学園高等学校合唱部三年生によります、卒業歌唱です。無伴奏(アカペラ)合唱曲『翼をください』」 見ると、そこにはワイヤレスマイクを手にした璃依がいた。ブレスレット、アンクレットのハートマークが、アクアマリンの光を放っている。その手で、なんか、パントマイムみたいに、アクションしていた。 白い一群が沈黙した。なるほど、あのブレスレット、ああいう使い方も出来るんだな。 さて、俺の出番だ。 俺はスマホに動画を落とした。「指揮者が指揮をしている」動画だ。そのスマホをガントレットにセットすると、ガントレットの菱形から緑色の光が放たれた。それと同時に、俺の手に光で出来た指揮棒(タクト)が現れる。 咳払いをして、俺は一群の前に立つ。あとはこの指揮棒をひと降りするだけでいい。 そして合唱が始まった。
あの時、志勇吾が見た情報は、「十一年前、合唱部、病気、不出場」だった。その他にも、細々としたものが見えたらしいが、俺たちはそれを頼りに、資料を調べた。俺は当時の新聞部の記事を、猿橋は志勇吾に見えた個人名(と思しき名前)から卒業アルバムを、璃依は「合唱部」っていうところから部活動連絡会本部の記録、主に当時の文化祭の行事予定表(プログラム)を、鮎見は璃依と一緒に合唱部関連の資料(定期演奏会なんかでよく唄っていた演目)なんかを調べたんだ。 そこから「十一年前の当時、合唱部三年生の卒業演奏は文化祭だった(現在は十二月の、市民コーラスとの共演での『第九』が実質的な卒業公演になっている)。しかし、その当時、市全域が流行病に見舞われ、合唱部三年生の中にも患者が多く出て、ラスト公演が中止になってしまった。唄う予定の曲の中に『無伴奏合唱曲・翼をください(演奏時間三分)』」っていうのがあるのが、わかった。 もちろん、これだけじゃない。志勇吾はもっと細かいところまで見ていて、一群の中にいた人間の名前のいくつかが一致しただけじゃなく、鮎見による「札(ふだ)」による占断も一致した。
「月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど」 なんか、「哀しい物思いにふけるけれども、それは私一人ではない」って感じの意味らしい。ただ、もう一枚、出て来た。
「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」 「その声こそ聞けなくなったけれど、その名は今でも忘れない」みたいな意味だそうだ。そして、この歌が現れた意味が、今、明らかになる。
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