「ン? なんだ?」 突然、蜘蛛のシルエットが揺らめき、そして、粒子状になって消えていった。 「何が起きたんだ?」 志勇吾は隣にいる詠見……、詠見に宿った紫緒夢に聞いた。 『さあ? 私にも、さっぱり?』 じっくりと視てみるが、蜘蛛を形成していたエネルギーは、残滓(ざんし)すらない。本当にここから消えたようだ。ちょっと拍子抜けだが、都合がいい。志勇吾は意識を集中した。女学生は、地面を指さしている。だが、一定の位置にいるのではなく、瞬間移動のようにして、あちこちへ移り、地面を指さすのだ。その腕の角度は同じようだから、常に一定の距離を示しているようだが、起点が確定できない以上、どこを指さしているのか、わからない。 『ごめんなさい、私にもわからないわ』 詠見・紫緒夢がいう。 志勇吾はじっとその様子を見た。この移動に法則性はないか、あるいは、特定の場所を指さす時だけ、変化はないか? どれほど時間が経っただろう。不意に。 「……そうか、そうだったのか」 稲妻のように、閃くものがあった。 「わかったよ、紫緒夢さん!」 と、詠見に笑顔を向ける。 「彼女なら帰ったわよ。ていうか、あれから五分経ってる」 と、ちょっと呆れたように詠見が言った。しかし、どこか疲れた様子だ。紫緒夢と意識を合わせたことが、かなりの消耗となったらしい。肩で息をしているのがわかる。 「え? そうなのか?」 気がつかなかった。集中していたから、時間の経過が意識できなかった。 「で、何がわかったの?」 詠見の問いに、志勇吾は答えた。 「ここの敷地の見取り図を思い出して欲しい」 見取り図については、探索時に何度も見たから、覚えた。翌日には詠見が「見取り図が夢に出てきたわ」とうんざりしていたから、彼女も覚えているのだろう。 「それがどうしたの?」 「あの動き、この敷地を上から見た図に似てるんだ」 と、志勇吾が「本校舎、研究舎」と、女学生が移動するのに合わせて指さしながら言う。その中で、唯一、言葉にしない場所があった。 「……図書室は?」 研究舎と渡り廊下で繋がっている図書室に相当する場所へは、移動しないようだ。 詠見は思い出しながら言った。 「確か、あれ、もともと倉庫で、あとで増改築して図書室にしたんだったわよね?」 「そう。今は旧講堂の一部が倉庫になってるけど、昔はあそこが倉庫だった。もし増改築した際に手を入れて、隠し部屋のようなものがあるとしたら?」 少し考えて、詠見が言った。 「図書室なら、『理事長の情報』も『悪魔という情報』もゴッチャになってて当然、ていうか、かなりゴッチャになってたわよね?」 「ああ。正直『悪魔』という情報が多くの名前と紐付いていた。それに、図書室なら、そういう情報があっても当然っていう先入観があった」 言ってみて、悔しさがにじむ。もしそんな先入観など捨てて、絞り込みをかけていれば、もっと早くにわかっていたはずなのだ。 だが、今わかっただけでもよしとせねばならない。志勇吾たちは図書室へ向かうことにした。ふと、女学生の方を振り向く。もう移動は止まっていた。そして、どこかを指さすこともやめていた。そして。 女学生が微笑んでいた。口が動く。その動きが志勇吾には「ワタシノヨウナ、ヒトヲ、モウ、ウミダサナイデ」「キガツイテクレテ、アリガトウ」。 そのように視えた。 「どうしたの?」 「え? いや、なんでもない」 「そう。あら、あの子、笑ってる。……そうか、夜中に見ると、怖いっていう先入観で『不気味』って感じるかも」 詠見はそう言ったが、志勇吾は別のことを思っていた。 目撃されていた「不気味に笑う少女」、そしてさっきまでいたのが、悪魔の力が宿った「何か」。今ここにいるのが、本来の彼女。彼女は、悪魔の力に抗しつつ、契約書の在処(ありか)を教えてくれようとしていたのだ、と。 なぜ、出現する場所が裏庭だったのか、それはわからない。うがった見方をすれば、彼女が亡くなった、あるいはその原因となった場所が、今の裏庭に当たる場所だったのかも知れない。
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