顕空では十七日の月曜日だった。 冥空でも月曜日。もっとも、八月六日だけど。 時刻は日の高さから見て、そろそろ、正午だろう。 僕は日付を確認するために買った新聞を畳み、懐へ入れる。 とりあえず、帝都文明亭へ行ってみよう。約束事、っていうわけじゃないけど、みんな、あそこを落ち合い場所に決めている感じがある。やっぱり、食堂とかの方が、落ち合うのには都合がいいよね。紫雲英ちゃんがメンバーにいるから、ますます都合がいい。 しばらく歩くと、伊佐木が歩いてくる。あっちの方角には、確か、松実(まつざね)屋さんていう呉服屋さんがあったっけ? 伊佐木がこっちに気がついて手を上げたんで、僕はからかってやるつもりで、近づき、言った。 「よう。もしかして、沢子さんと逢い引きの手はずでも整えてきたのか?」 こいつが、沢子さんに好意を持っているのはわかっている。 伊佐木は、一瞬、きょとんとなってから答えた。 「なんで、そう思うんだ?」 「いや、ほら、お前、松実屋さんの方から来たし、大学は全然、違う方角だし」 鎌をかけてみた。あくまで「松実屋さんの方」であって、「松実屋さんから」ではない。これで、引っかかると、面白い。 「……なんで、松実屋さんで、おさわちゃん、なんだ?」 不思議そうな表情で、伊佐木が言う。 「え? いや、だって、沢子さん、松実屋さんで奉公してるし」 訝しそうな表情で、伊佐木が首を傾げ、僕の額に掌を当てる。 「……なにやってんだ、伊佐木?」 「いや、お前があんまりおかしな事を言うからさ、熱でもあるのかって思って」 伊佐木の手を振り払い、僕は言った。 「失礼なやつだな」 「ああ、すまん。……お前、誰かと勘違いしてるな?」 「勘違い?」 「ああ。おさわちゃんの奉公先、ていうか、勤め先は、新宿の熊野(くまの)縫製(ほうせい)。彼女、そこで、針子(はりこ)さん、やってるぜ。お前も知ってるはずだけど?」 ……。 え? どういうこと? 彼女、確かに、松実屋さんっていう呉服屋さんで、奉公していたはず。 それが、熊野縫製っていうところで、針子をしてる? これは、完全に記憶違いじゃない! どうなってるんだ? その時、僕は思い出した。 大正十二年界の人は、顕空の人と、霊的な繋がりを持ってるっていう。その繋がり先が変わると、職業なんかが変わるって聞いたっけ。そういえば、帝都文明亭の宇多木さん、今は、洋食屋の大将だけど、大工さんだったこともあったらしい。 話には聞いてたけど、実際に体験してみると、これは、混乱しかない。うまく対応しないと、いろいろとおかしな事になるかも知れない。 ……そうか、こんな風に混乱していると、思わぬことを口走っちゃう怖れがあるな。よっぽど注意しないと、こっちにはない「言葉」とか、「概念」とかも話しちゃうかも知れない。 例えば、今のような事態に出くわしたら、下手をしたら「こっちの世界では学生だけど、別の世界ではタレントをやっているかも知れない」なんていう「平行世界」とかの言葉や概念を、持ち込んでしまうかも知れない。 あるいは、まずそんなことはないと思うけど、あの帝都タワーを見て、「スカイツリーみたい」だって口走るかも。その時、人に聞かれたら、「高さ六百三十四メートル」とか「武蔵(むさし)にちなんでる」とか、言っちゃうかも知れないなあ。 気をつけないと。
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