中央西区に「MAT−AMI」、「マット・アミ」という名のバーがある。フランス語で「くすんだ友人」という意味があるそうだ。だが、本来のフランス語の文法に則れば、「AMI−MAT」になるはずだ。どうやら、この名前には別の意味があるらしい。 貴織は、そこのドアを開けた。 「いらっしゃいませ」 バーテンダーが応じる。店の中は、そういう時間帯なのだろう、客はいなかった。 カウンター席に座り、貴織はバーテンダーに言った。 「ブラッディ・マリー、アルコール抜きで」 それを聞き、バーテンダー……面河児朗(おもご じろう)が苦笑いを浮かべて答える。 「トマトジュースよこせ、って言えよ」 面河は冷蔵庫から、トマト、フルーツトマト、そして、塩を出す。トマトをカットする面河に、貴織は何となく、言った。 「……罪、って、忘れられないものなのかな……?」 それに対し、面河は言った。 「『なにかあったの?』」 幾度なく、繰り返された問答、やりとりだ。もはや、テンプレといってもいい。だから、貴織は、台本を覚えた役者のように、言うべき事を、自然に、まるで「そうであるかのように」、そして自動的に言った。 「『ある相談者から、恋に関する相談を受けたの。それに対してアドバイスをして、それに関連して、お仕事に関する相談も受けたのね』」 「『へえ。信頼されたんですね』」 「『そう言っていいのかな? それでね、あまりいいカードが出なかったから、そのことを伝えて、どうすればいいか、あたしなりに考えて、アドバイスしたの。そんなことを何日も繰り返すうちに、あたしの方も、感情移入するようになっちゃって。その人の願い、絶対、叶えてあげたい。そう、思うようになったの』」 「『理想的なんじゃないんですか?』」 貴織は首を横に振る。 「『ダメ。占いをする人間は、常にクールでないとならない。一部では、自分で自分のことを占ったらダメって、そんなことを言う人もいるけど、それは、客観的に観られなくなるから、ってことなの。自分のことだと、どうしても、客観的な判断が出来なくなる怖れがあるから』」 「『たいへんですね』」 「『……あたしね、短大、卒業したけど、就職できなくて、ハケンでいろんな会社で、短期でお仕事して。でも、トラブルが起こって、……ああ、トラブルの内容は、詮索しないでね? あたし、一応、「女」だから、話したくないこと、あるし。……で、あたし、身も心もボロボロになったの。そんな時、ふらっと立ち寄った占いで受けたアドバイスのおかげで、救われたの。それで、あたしも誰かを救えるようになれたら、って思って、占いの勉強して、ある人に師事して』」 「『それで、今のお仕事に、就かれたんですね?』」 面河が、ジューサーにカットしたトマトを入れる。 頷き、貴織は続けた。 「『だからあの時、相談者の気持ちとか、考えたら、なんとかしてあげたい、って思ってしまって。気がついたら、かなりの割合で、あたしの主観が入ってしまってたの』」 「『……経験談なら、いいんじゃないんですか? なにかの参考になるかも知れない』」 「『そんな、大層なモノじゃないわ。ただ耳にしたことを口で言っただけ。あたしの経験で裏打ちされたことでも、心が入っていたわけでも、まして、霊感でも何でもない。カードのメッセージですらないことを、偉そうに言ってしまったの。それを信じた相談者は、結局……』」 目の前に、トマトジュースを注がれたグラスが、置かれたが、それに手をつけることなく、貴織は言った。 「『絶望して、自ら命を……』」 面河は何も言わない。だから、貴織は言った。 「『あたし、どうすればよかったのか。あたしがやったことって、カードで人を殺したも同じ。……これから、どうしたらいいのかしらね……?』」 しばらくは、店内を占める音は、BGのジャズだけだった。インストではなく、ヴォーカル曲。タイトルまでは知らない。一部だけ、歌詞が聴き取れた。「Here’s To LIFE」と歌ったように聞こえた。 この次の言葉は、わかっている。面河は、こう言うのだ。 『清嘉(さやか)ちゃん……高谷(たかや)さんに、占ってもらったら、どうかな? これからの、行くべき道を』 そして、貴織はこう答える。 『そうね。今度、お願いするわ』 そして、いつも、貴織は清嘉に占いを頼まないのだ。 怖いから。 何か、致命的なことを言われるのではないか。そう思うと、怖くて仕方がないのだ。 しばらくして、面河が口を開いた。
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