「俺、剣道とか柔道とかやって、強くなった気でいました。でも、結局、心が全然、強くなかった」 回想からもどった浅黄がそう言うと、事情を知っているマスターが口を挟んできた。マスターは、今年で四十八歳になるというが、もっと若く見える。 「銃、なんて、飛び道具向けられちゃあ、どうにもなりませんよ。浅黄さんに、非はありません」 「でも、なんのために錬磨してきたのか。剣道の師匠からも、『己の心の弱さを斬り伏せる剣を持て』と言われてたのに」 「無茶ですよ」 と、マスターが、切り分けたホットサンドを皿に載せ、浅黄の前に置いて言った。 「もし、その時、浅黄さんが撃たれてたら、どうなってましたか? 防弾チョッキを着てたとか、鎧を着てたとか、そういうんじゃないんです。下手すると、死んじゃったかも知れない」 何度も繰り返した問答だ。 「確かに、そうです。でも、あの時は……」 マスターが、コーヒーをグラスに注いで言った。 「自分が撃たれてでも、弥生ちゃんを救うべきだった、でしょ? あのね、そういうのは、ただのロマンチシズムなんです。助けに飛び込んで、撃たれて、死んじゃったら、なんにもならない。ましてや、その銃、弾(たま)がどこ行くか、わかんないんでしょ? 避(よ)けた方へ弾が飛んでくるかも知れない」 確かにそうだろう。マスターの言葉は正しいと思う。だが、それでも、目の前で弥生を助けられなかった、という事実に変わりはない。あの時、自分が適切に動けていたら、もしかしたら、ストーカーの車を追尾して、「足取りが追えない」といったことは、なかったかも知れない。そうしたら、最悪の事態は防げたかも知れないのだ。 「浅黄」 と、佐之尾が言った。その表情も声も、厳しいものではない。どこか、柔らかいものがあった。 「あの時も言ったが」 あの時。はじめて冥空裏界……大正十二年界に行って、佐之尾と会ったときのことだろう。 「人間、己に出来る範囲のことと、そうでないことがある。過ぎてしまったことを変えるのは、出来ない範囲のことだ。ならば、今、出来ることに意識を向ける。それが大事だと思うぞ?」 力と武器を手にしたのなら、それをもって魔災を防げ。 あの時、そう言われた。 佐之尾の言葉の真意はわからないだろうが、マスターも頷いて言った。 「そうですよ。人間、目玉は顔の前にあるんです。前を向いて生きなきゃ」 小さく息を吐いて、浅黄はコーヒーを一口、飲んだ。 マスターの言葉は嬉しい。だが、それには、どこか「他人事」のような響きがあった。
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