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作品名:帝都、貫く、浄魔の拳 作者:ジン 竜珠

第63回   参「それぞれの物語」の一
 七月十六日、日曜日。
 浅黄比呂樹(あさぎ ひろき)は、市内の五宝(ごほう)区というところにある、五宝寺にやってきていた。
 時刻はそろそろ正午。手にした仏花は、この日射しを受け、くたびれているように見える。
 そろそろあの人の月命日だ。本当なら、その当日に花を手向けたかったが、あの人の遺族と顔を合わせるのは、気が引ける。葬儀の当日も、追い返されたぐらいだ。遺族、特に妹の感情は、そう簡単にほぐせるものではないだろう。
「もう、一年七ヶ月、か……」
 山門へ通じる石段の前で、比呂樹は呟く。
「お前のせいじゃない」
 多くの人から、そう言われた。実は比呂樹自身も、そう思っているところがある。自分には罪はない、そう思っていたし、信じているところさえあった。
 だが、自分で思う以上に、自分の魂は、罪科(つみとが)と感じていたようだ。だからこそ、彼は大正十二年界という、異界へと赴くことになったのだろう。
 二十段ある石段を登り始めたとき、山門を通って、一人の女性が降りてきた。
「……睦(むっ)ちゃん……」
 黒いワンピースを着て、長い髪を一つ結びにしたその若い女性は、大杉睦絵(おおすぎ むつえ)。あの人の妹だ。
 睦絵は比呂樹に気がつくと、眉を厳しくし、口を引き結んで、ちょっとだけ睨んだ。
 ゆっくりと石段を降り、比呂樹の七段ほど上、彼を見下ろす位置に立ち止まり、睦絵は冷たい声で言った。
「毎月、月命日が近づくと、誰かがお花を供えていた。あなただと思っていました、浅黄さん」
 そして、すうっと目を細める。
「そんなことをされても、姉は喜ばないと思います。あなたに言われた『お前を護ってやる』。姉は、その言葉を、とてもうれしく思っていました。きっと護ってくれる、姉はそう信じ、私に幸せそうに言ってたんです。……『護ってやる』、そんな言葉を吐いた男が、よもや、目の前で逃げるとは、思わなかったでしょうね。死の間際、姉は何を思ったのかしら? それに、あの御遺体の様子。屈辱なんて言葉じゃあ……」
 その言葉が、比呂樹の胸に突き刺さる。
 今となっては、何を言っても、自己保身の言い訳以外の何ものでもない。それに、事実、比呂樹はその場から、「逃げた」といわれても、仕方がない。
「その花を持って、お帰りください」
 そう言い捨てて、睦絵は引き返すように、石段を登っていった。
 比呂樹が、石段を登って、姉の墓前に花を供えに来ないよう、監視する。そのように、勘ぐる自分が、比呂樹は情けなく思えた。


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