顕空では七月十四日の金曜日、午前一時十五分だったんだ。 冥空では八月二十三日木曜日、午後一時だった。 気がつくと、帝都文明亭近くの裏通りにいた。とりあえず、表通りに出たところで、伊佐木と沢子さんに出会った。 「おう、救世」 伊佐木がこっちに気づいて、歩いてくる。その後ろで、沢子さんが僕に会釈した。でも、沢子さんの表情は暗い。 「なあ、伊佐木、沢子さん、なんかあったのか?」 小声で伊佐木に聞いてみると、チラと沢子さんを見てから、伊佐木は言った。 「おさわちゃんの友だちに、同郷の人で下田薫子さんって人がいるんだが、その人、この間、首をくくったそうなんだ」 「……えっ?」 ちょっとした衝撃が僕の胸に突き刺さる。 「詳しいことはおさわちゃんにもわからないそうなんだけど、仕事で悩んでたらしい」 「仕事?」 「ああ。麻草にある『新巻珈琲(あらまきコーヒー)』っていうカフェだ」 この間、梓川さんから、この時代のカフェには、風俗店として機能していたお店もあるって聞いた。ということは、男女間のもつれ、とかがあったんだろうか? 気がつくと、沢子さんも近くに来ていた。 「薫子さん、小さい頃、私含めた近所の子どもたちと、一緒に遊んでくれてたんです。年はちょうど十(とお)離れてて、とても面倒見のいいお姉さんで、私が上京してからも、随分お世話になって……」 思い出したのか、着物の袂(たもと)で目に浮いた涙をぬぐう。僕も、胸の奥に、何かが詰まったような、息苦しさを覚えた。 沢子さんは、故人を悼むように続ける。 「私の故郷(くに)、山口の片田舎で、何にもないところで、お裁縫の道で身を立てたくて、上京して、右も左もわからない時に、偶然、道で出会って。松実(まつざね)屋さんで、ご奉公することは決まってたんですけど、それ以外のことは何にも、……知り合いもいなくて……」 「そうか」 僕も、上石津市に来たときは、何もわからなかった。でも、今は情報もふんだんにあるし、どうにもならないっていう不安にさいなまれることは、あんまりないと思う。でも、この時代は……。 「……あれ?」 今の会話で、なんか違和感を覚えた。なんだろう? しばらく考えていて、唐突に「それ」に思い至った僕は、話の腰を折るかも知れないとは思ったけど、聞いてみた。 「沢子さん。沢子さんの故郷って、確か、広島、だったよね?」 以前、そんな話を聞いたような気がする。 「え?」 と、沢子さんが、きょとんとなった。 「私、故郷(くに)は山口ですよ?」 「……」 あれ? 僕の聞き違いだったかな? まあ、そんなこともあるか。
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