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作品名:帝都、貫く、浄魔の拳 作者:ジン 竜珠

第45回   弐の十五
 下田薫子(しもだ かおるこ)は、麻草(あさくさ)のカフェで女給をしている。それなりに「ごひいき筋」もつき、仕事は順調だった、……とも言えた。
 だが、納得のいかない日々を送っている。
 明治のご一新以来、世の中は大きく変わったと言われる。先年、解散してしまったが、新婦人協会は確かに女性の地位向上に寄与した。
 だが、二年前に二十五歳で結婚した幼馴染み・小村逸子(こむら はやこ)は「家風に合わぬ」との理由で、先月、離縁された。三十路(みそじ)前の娘など、「とう」が立っていて、後添えにも迎えてもらえるか、わからぬ。新婦人協会の働きかけも、結局はブルジョワのための活動に過ぎず、平民の女の地位は、低いままだ。
 そして、薫子は今、花柳病(かりゅうびょう)にかかっている。どの男が「そうであった」のか、わからぬ。だが、そのせいで、今、じわじわと、ではあるが、「あの女子(おなご)は、花柳病をばらまいておる」という噂が出てきているようだ。このままでは、早晩、斯界(しかい)を叩き出される。これといってとりえのない三十路前の女が、この先、どのように生きていけるというのか。
 溜息をつきながら目抜き通りを歩いていると、正午の大砲が轟いた。だが、不安の余り、胸がふさがり、食事をとる気になどなれない。
 適当に歩いていると、前に一人の若い紳士が立った。
 それを避けようと、右へ身をむけると、紳士もその方へ動く。それならと左へ向くと、紳士もその前に立った。
 お互いの親切心が、仇となっているのか。そう思い、薫子は言った。
「申し訳ありません。私、アチラへ参りますので」
 と、適当な方を指さす。すると、紳士は笑顔になって言った。
「私も、そちらへ行くのですよ」
 薫子は紳士の顔を見た。
 穏やかな笑顔が浮かんでいる。だが、どうやら、この男は自分をからかっているようだ。同じ方へ行くのに、お互いが道を塞ぐように動くわけなどないのだから。
 先刻からの不安と不機嫌の余り、少しだけ鼻を鳴らすと、薫子は言った。
「それなら、サッサと行けばいいじゃ、ありませんか? 私の前を塞ぐヒマがあるなら」
 紳士は苦笑いを浮かべると、こう言った。
「私、こう見えても、観相見などを商っておりましてね。あなた様の抱えてらっしゃるお悩みがわかるんですよ」
「観相見?」
 うさんくさいこと、この上ない。薫子の、そんな気持ちを見抜いたかどうか定かでないが、紳士は言った。
「あなた、今のお仕事で、厄介ごとを抱えてますね? 例えば……。そう、例えば、あなたが花柳病をふりまいているという噂が、広まりはじめて、この先、お仕事ができなくなるのではないか、それ以前に、この年では、もう女給などつとまらぬ、など」
 心臓が止まるほど驚いた。
 紳士は、薫子に深く考える暇を与えぬように、矢継ぎ早に言った。
「幼馴染みは離縁され、自分も、このようになった。もはや、お先真っ暗。一体、どうしたものか。……私には見えます。あなたの行くべき道が」
「行くべき、道?」
 おうむ返しに言うと、紳士は頷いた。
「そして、あなたの、本当の、お望みも……」
 紳士の瞳に、怪しい光が光ったように見えたのは、気のせいか?
「あの、あなたのお名前は?」
 思わず、相手の名を問うた。これほどの眼力の持ち主ならば、さぞや名の知れた観相見かも知れぬ。そう思ったからだった。
 紳士は、静かに言った。
「ケイシー、とでも覚えておいてください」
 紳士の双眸に、再び、妖光が宿った。


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