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作品名:帝都、貫く、浄魔の拳 作者:ジン 竜珠

第284回   後日譚、九月某日Another。・一
 夕刻の今、道場でお互い正座し、面河児朗が相対している白練りの着物を着ている女性は、白倉新の母にして、白倉流神道の当代の師母。要するに、面河の妻・白倉葵であった。
 ただし、戸籍上は婚姻関係にない。今から十三年前、面河児朗は「白倉児朗」ではなくなったのだ。
 この辺りの経緯は、今思い出しても胸が痛く、口の中が苦くなり、全身に怖気すら走る。
 そもそもの発端は、白倉流の伝書の中に「神との交流」に関わる儀式があり、それが未完成であることを知ったことにある。児朗は儀式や呪術をかみ砕いて初心者向けに改編したり、別系統の呪術体系と組み合わせて、呪術の使い勝手を良くするといった才の持ち主であった。そして、その式次第を見ているうち、いくつかの閃きを得て、「この儀式を完成できる」という確信を持つに至った。
 だが当時の師母……当代の師母の母であり、大師母……から「儀式に触れることはならぬ」という厳命があった。
 その理由を大師母は「その儀式は、どのように組み直しても、また完成させても、最終的に邪神・邪霊と繋がってしまうから」だと言った。
 だが児朗には、そうさせない自信があった。自分なら、この儀式を完全なものにし、神との交流を確実なものにできるという自負があったのだ。それを彼は、当時の師母から「娘婿として認められた」という矜恃であるとも思っていた。

 だが、人はそれを「自惚れ」と呼ぶ。

 確かに完成した儀式は、効験があった。当時の児朗の実力では、到底、降神が叶わぬ存在との交流が可能になり、啓示すら受けた。だが、それはすぐに危ういものとなった。
 詳細な原理までは、児朗にもわからぬ。だが、この儀式は、続けるほどにその者の自我を膨れあがらせ、やがては選民思想の塊にしてしまうのだ。
 自分は選ばれたのだ、との意識は、「使命感」として意識に上ってすりかわり、容易には判別できぬ。おそらく並みのメンタルでは、すぐにも「それ」に飲み込まれ、邪霊の入れ物になってしまうだろう。
 だが、幸いにして、児朗は「そうなる」前に気づくことが出来た。理由はいくつかある。一つは、儀式の完成度を高めようと、常にチェックを怠らなかったこと、一つは傍にいる葵を信じており、彼女の言に耳を傾ける意識が残っていたこと、そしてもう一つは彼自身が抱いていた劣等感が、プラスに働いたこと。劣等感故に、「自分は、本当にこのレベルになったのか?」と自問自答することが出来た。児朗は、白倉流に入門した頃は、いわゆる劣等生だった。だからこそ、虚心坦懐に修行に、そして己に向き合い精進してきた。また、彼は「修行日記」をつけており、それを読み返すことで、己のメンタルの変化を見てとることが出来たのだ。
 当然ながら、当時の師母からは叱責された。葵との離縁は、児朗自身から申し出た。そして、彼は自らそこを去った。
 誰にも告げずに……。

 六年前、白倉流の門弟である久津万里神社の娘が、一教一派らしいものを立てたという噂を耳にした。その時は「よくある話だ」程度にしか思わなかった。だが、ある機縁でその一派……久津万里講社が出した私家版の「啓示集」を手に取ったとき。
 愕然となった。
 あの時、自分が受けた啓示が、そのまま載っているではないか!?
 直感的に「あの儀式次第書」を実践した者がいるとわかった。率直に「処分してなかったのか!?」と、戦慄に似たものさえ覚えた。妙な「力」でも働いていて、処分させることを妨害したのでは、と、そう思いさえしたが、その辺りの経緯を知る術はない。だが、その後の経緯については知ることが出来た。
 最終的に死者の出なかったのは幸いだった。その事態を引き起こした直接の原因は「自分にある」と千宝寺千紗は、過剰なまでに責任を感じていたが、児朗にもあると、彼は自責の念に囚われているのだ。
 いつかはこんな事が起きるのではないか。
 大師母に叱責されて、そのように危惧していたからだろう。白倉家を出奔してほどなく、彼は大正十二年界へと赴くことになった。その後、白倉流呪式の修練により、意識的に大正十二年界へと行くことができるようになったが。

 あれから十三年。葵は、あの頃より髪を伸ばし、今その長さは背中の中程を過ぎるぐらいにしている。そしてあの頃と変わらず、清楚で美しい。まったく年齢を感じさせない。世に「美魔女」という言葉があるが、葵はまさに「それ」だと思う。
 それに比べると、自分は随分とくたびれてしまっている。児朗はある種の負い目を感じずにいられない。
「例の式次第書だけれど」
 と、葵は言った。
「あなたには知らせないとならないわね。本来ならあの書は焼き捨てるべきだった。でも、それは大師母様、当時の師母様が禁じられたの」
「なんでだ?」
 奇妙だった。「儀式に触れるな」と命じたのは、大師母だ。ならば、そのような忌まわしい物、残すなど、有り得ない。そして、それは積年の疑問でもあった。
 葵は少し考えながら言った。大師母の言葉を思い出しているようにも見えるし、自分の中の解釈が正しいかどうか、今一度、吟味しているようにも見える。
「大師母様のお考えだけれど。確かにこの書があれば、実行しようという不心得者が現れるだろうし、それによって何らかの間違いも起こるかも知れない。しかし、だからこそ、残さねばならない」
「よくわからんな、言ってることが? 間違いが起こるとわかっているなら、それを防ぐべきだろう?」
「喩え話を仰っていたわ。線香の火の熱さを知れば焚き火の恐ろしさがわかる、転んで膝をすりむく痛さを知れば、崖から落下する恐怖がわかる」
 その喩えでわかった。
「なるほど。大師母様らしいな。だが、転んですりむく、どころじゃすまなかった」
 頷き、葵は言った。
「それについては、大師母様でさえも後悔なさっていたわ。自分の読みが甘かったって。だからこそ」
 と、葵は強い光を瞳に宿す。
「私たちは己の未熟なことを、その心に刻まなければならない。あなたは、それを知ってなお、先へ進まないとならないの。同じところに踏みとどまっていては、いけないのよ?」
 葵の言葉が心に染みる。思わず頭を下げた。
 頭を上げると、葵も頭を下げて三つ指を突き、言った。
「お帰りなさい、あなた」
 柔らかな笑顔がそこにあった。


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