日曜日の午後二時。 僕は荷物の整理を始めることにした。 魔災の種は潰せていないけど、これからのことは、むしろ、僕じゃあどうにも出来ないと思う。 あの世界……大正十二年界は、確かに願いが叶う世界だったと思う。その力で「魔災を潰す」という「願い」を叶えようとしたんだろうけど。でも、それは同時に「魔災が発生するかも知れない」という「恐れ」も、確率的に存在させていたように思う。それは無意識下で蠢いて、おそらく金毛九尾の力になっていた。 それに、あの世界で叶うのは、誰か一人二人の願い。その願いが叶うことで、多くの人が不幸になる。「十人全員を救う」どころじゃない、「十人のうち、九人を救って、一人を見捨てる」でもない、「一人を救って、九人を不幸にする」世界だ。そんなものを認めるわけにはいかない。 面河さんが言ったのは、そういうことだったんだ。 あの世界がある以上、そんな狂った力が働き続ける。「十人全員を救う」っていうのは、「十人全員が救われない」でもあるんだ。 「いや、ちょっと違うな」 僕は呟いて、考えを整理した。面河さんが言いたかったのは、きっと。 「みんながちょっとずつ、何かを我慢する、てこと、かな?」 よくわからないけど。 でも、面河さん、僕がこういう結論になること、「お役」を自覚すること、そして、ああいうことをするっていうのを、見越してたのかな? それはさすがに……。 ……いや、あの「太極図」に宿っていた「力」を考えたら、案外……。 まあ、何にせよ、僕の役目は終わりだ。まだテイボウにも実家にも連絡はしていないけど、今月いっぱいで、ここを引き払おう。大学復学は、後期日程が始まる九月半ばからで、いいのかな? そう思っていたら、アパートの二階にある、僕の部屋のドアがノックされた。 誰だろう、と思って、ドアを開けたら。 「天夢ちゃん?」 「こんにちは、救世さん」 あの日から、彼女は、積極的に僕をデートに誘うようになった。それは純粋に嬉しいけど、僕はもう実家に帰る決意を固めてたから、ちょっと心苦しいものがあったんだよね。それに、紫雲英ちゃんからも、ちょくちょくお誘いがあったりして。 「どうしたの?」 「お迎えに上がりました!」 と、天夢ちゃんは敬礼の仕草をした。 お迎え。抜き打ちでデートの誘いか。悪いけど、今日から、荷物の整理を始めようと思ってたんだよな。出鼻を挫かれたような感じがする。 「申し訳ないけど、今日はデートは……」 「違います。緊急会議です!」 「緊急会議?」 「はい。救世さん、メールしたのに、時間になっても、来ないので、あたしが、お迎えに来たんですよ」 「ああ、スマホ、昨夜から充電中で、今日は、まだチェックしてなかったな」 「そうなんですか。それでですね。なんか、大正十二年界に似た世界が、冥空裏界に、生まれつつあるそうです」 「……え? ちょっと待って!?」 確かに、破壊したのに!! なんてこった、まだ何か、残ってたのか!? でも、それとは違うらしい。天夢ちゃんが言った。 「詳しいことはまだわかってないんですけど。これまで大正十二年界で願いが叶った人たちの欲念が、また、何らかの願いを叶えたい、とか、その他の人たちの欲念が集積して、出来上がりつつあるとか。以前、願いが叶った人たちの欲念がベースになってるんで、結局、大正十二年界が再構築されてるらしいですよ?」 ……。 金毛九尾の言った通りになったなあ。 「でも、僕は、もう実家へ帰ろうかって思って……」 「え!?」 と、天夢ちゃんが仰天したような声を上げる。 「実際、僕には『力』があるわけじゃないし、それに、大学だってあるし、その先には、就職も……」 すると、天夢ちゃんが僕の肩越しに何かを見て、笑顔で言った。 「救世さん。『信の一字を打ち立てろ!』ですよ? あたしには『自分を信じろ』みたいなこと言っといて、自分は何ですか!?」 ああ、あれか。あのあと、爺ちゃんがまた大書したんだ、「信の一字を打ち立てろ!」って。で、部屋に入って、すぐ見えるところに貼っとけ、って言って、爺ちゃん自身が貼ったんだ。 「就職なら、心配ないッス!」 いきなり、そんな声がした。そっちを見ると、肩で息をしてる紫雲英ちゃん。天夢ちゃんが、なんか、不機嫌そうになってる。 「天夢ちゃん先輩、抜け駆けは、なしッス!」 その言葉に、僕は首を傾げる。 「抜け駆け?」 「そうッス! 浅黄さんが迎えに行くって言って、出て行って、すぐあとで、天夢ちゃん先輩がトイレに行くって言って、出て行って。いつまで待っても、天夢ちゃん先輩、帰ってこないんで、気がついたッス、『やられた!』って。で、貴織さんの車に乗せてもらって、追っかけて来たッス!」 外を見ると、アパートの駐車場に浅黄さんと貴織さんがいて、なんか、楽しそうにお喋りしてるのが見えた。 紫雲英ちゃんが弾けるような笑顔になって言った。 「就職先なら、もう決まってるッスよ、心さん!」 「就職先、って、どこ?」 まったく見当がつかない。 紫雲英ちゃんが「ニィ」って感じの笑みを浮かべる。 「明宝亭ッス!」 「それって、紫雲英ちゃんのところの、中華屋さん……」 「親には、もう話をしてるッス! とりあえず、今日から修行ッスよ!」 いくら何でも、そんな話をしているとは思えない。おそらく紫雲英ちゃんのハッタリだろうけど。 そう思ったら、天夢ちゃんが僕の両腕を掴んだ。 「救世さん! すぐに今の大学に退学届出して、國學院とか、京都国学院を受験し直してください! で、うちの神社の神職、継いでください!」 「いや、あのね……」 何か言わなきゃ、と思っていたら。 「おーい、救世ー! まだかー! 早くしろよー!」 浅黄さんの声がした。 「ごめん、二人とも。とりあえず、会議に出なきゃ! 準備するから、待ってて!」 と、ドアを閉めた。 なんだか、何にも解決してない気がする。
そんなわけで、また、僕はテイボウのメンバーとして、活動することになった。 でも、それは。 語る必要のない、物語……。
……かなあ?
(「帝都、貫く、浄魔の拳」・完)
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