八月二十日、日曜日。 そろそろ正午だ。 桑原礼子は、最後のボランティアに参加していた。 帝星建設と土原満武県議会議員との癒着、さらに、それを仕掛けたのが礼子の父・桑原俊行・帝星建設人事部長だったことが明るみに出て、日常がたいへんなことになった。 大学を辞めることはない、と周囲から言われたが、居心地が悪く、木曜日から通っていない。 そして、こんな自分がボランティアに参加する資格はないだろう、と思い、脱会の意思も伝えた。 遺留されたが、自分がいることで、「レッドリング」という団体まで、悪く言われるのは、申し訳が立たない。 おむすびの入った使い捨てのプラスチック容器を詰めた、番重(ばんじゅう)を、折りたたみの長机の上に置く。 その時、見覚えのある姿が目に入った。その人物は、足を引きずった男性に近寄る。会話が耳に入った。 「合崎さん」 「……村嶋さん。久しぶりだね。元気そうで何よりだ」 「ああ。なんとかね」 と、村嶋は、近況を話す。 ところどころ、礼子の知らない固有名詞などが出てくるので、完全に理解できないが、どうやら、村嶋は再スタートを切ったらしい。そして。 「合崎さん。実は、向こうで、ちっちゃな工務店だけど、始めることになったんだ。俺がやるんじゃなくて、あくまで手伝いっていう立場なんだけど。よかったら、合崎さんの技術(うで)を貸してくれないか?」 「え? でも、俺は、この脚だし……」 合崎には、かつての投身自殺未遂による、脚の損傷、その後遺障害がある。 「近くに、いい医者がいるんだ。合崎さんのことを話したら、『自分のところで診たい』って言ってくれて。……石毛建設設計が倒れたばっかりに、あなたにまで、迷惑をかけた。石毛社長にかわって、あなたに、償いをしたい」 「いらないよ、償いとか」 「そうは、いかない」 と、村嶋は強い意志を込めて言った。 「そもそも石毛建設が抱えた負債は、帝星建設から押しつけられたものだ。そのことは、警察に話したし、立件もされる! でも、結果として、そのせいで合崎電業は潰れたんだ! 道義的に、いや、人として、責任を取らなければならない!」 その言葉に、合崎は何を思うか。 「合崎さん、頼む! 俺の顔を立てると思って! 実は、もう向こうに話をしてあるんだよ」 頭を下げる村嶋を見ながら、合崎も頭を下げる。小さな声で「ありがとう」と、何度も言いながら。 それを見て、礼子も、安堵の息を漏らした。少なくとも、救われる人が、ここにいる。自分が何をしたわけではないが、自分の父が不幸にしてしまった人が、こうして、再生への道を歩もうとしている。 それを見ることができただけでも、今日、ここに来てよかった。 そう思いながら、次の番重を運ぼうとしたとき。 「礼ちゃん!」 声がした方を見ると、ここでの「常連」の人たち。二十人以上はいるだろうか。 みんなが口々に言った。 「がんばれよ、礼ちゃん!」 「俺たち、全員、味方だからな」 「金も力も、コネも、なーんにもないけどよ」 と、その男は胸を叩いた。 「心意気だけは、あるからさ! いつでも、頼ってくれよ!」 「おうよ! 礼ちゃんのことを悪く言う奴がいたら、すぐに知らせな。そいつのこと、ブン殴ってやるからよ!」 みんな、口々に、そんな言葉をかけてくる。 「皆さん……。ありがとう、本当にありがとう……」 涙が溢れてきた。これまで、自分は、「誰かを助けたい」と思っていた。そう思って、活動してきた。 そして、今度は、自分が助けられている。 世界を動かすのは、人の善意なのだ。 礼子は、今、それを強く心に刻んでいた。
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