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作品名:帝都、貫く、浄魔の拳 作者:ジン 竜珠

第231回   拾の十七
 阿山が息を呑む。そして、
「ひ、人違いですよ、きっと! 他人の空似……!」
 そう言ったが。
「千宝寺くんを見て、『千紗ちゃん』と、口走ったそうです。そして、こう言ったそうです。『絶対に、子どもを産む』、と」
 阿山が、うなだれ、頭をかかえる。
 江崎は続ける。それが、「あえて」事務的に言っているように聞こえた。
「君も知っての通り、ディザイアは歪みを生む元です。消滅させねばなりません。事情を聞かせてもらえますか?」
 阿山は答えない。
「阿山さん。花果さんは、『懐胎秘法伝授之會』という組織の代表となっています。つまり『子どもを授ける』、あるいは『子どもを産む』という事に、強い想いを抱いたディザイアです。現在、向こう側の住人、細川沢子、という人なんですが、その人が『トレーサー』になったことで固定してあるので、逃走される怖れはありませんが」
 衝撃を貼りつけた顔で、阿山が江崎と結城を見る。
 結城はおおよその事情を聞いていたが、詳細は阿山の口から聞いた方がいい。結城は、阿山の言葉を待った。
 しばらくおいて。
「花果、心臓があまり強くないんです。結城さんならご存じだと思いますが、妊娠すると、血流量が増え、心臓への負担が大きくなります。加えて、花果自身、以前、子宮内膜症をやったことがあって、妊娠しにくい体になっていた。だから、子どもの事は諦めていたんです。ですが、二ヶ月前、妊娠していることがわかって。嬉しかったなあ。日常には、充分、注意をしていたはずなんですが、四日前、仕事から帰ってきて、倒れているのを見つけて」
「おそらく、低血圧による起立性貧血を起こして、倒れ、頭を打ったものと思われます」
 と、推測ではあったが、聞かされた医師の所見を江崎に話した。
 江崎が頷くと、阿山は言った。
「その時に、血管が損傷した、とかで、お医者様からも言われたんです。『花果をとるか、子どもをとるか、今日にでも決断しろ』って。……どちらか、なんて、選べませんよ! 先生も、『なんとか、両方助かる道を探す』って言ってくれてますし!」
 阿山の両目から涙が流れる。
 この先を言うのか? 咄嗟にそう思ったが、言わねばならない。この場で江崎が「そこまで」言うかどうか、わからないが、あのディザイアは高谷清嘉によれば「坤(コン)を象徴するもの、何かを産み出すもの、山地剥(さんちはく)の二爻、早急に対応すべし」、白倉新によれば「もしかすると、魔災に繋がってしまうかも」だった。
 そのディザイアを倒す。それは、つまり「子どもを産む」という可能性を潰すことでもあるのだ。
 江崎の顔が、歪む。それは涙というより、痛みをこらえているように見えた。
「今回のディザイアは、これまでと事情が違う。阿山さん。あのディザイアを倒すために、あなたの『許可』が欲しい。そうしなければ、こちら側の東京で、壊滅的な大災害が起きてしまう怖れがある」
 そして、持参した鞄から、封筒を出す。
「二枚の咒符があります。それに、あなたの署名と拇印が欲しいんです」
 封筒から出したのは、知識も霊感もない自分でさえ、禍々しいと感じる咒符。白倉神道に伝わる秘伝の咒符で、「誰か」から託された、という。その「誰か」について、江崎は名前を出さなかった。
 封筒をテーブルの上に置き、江崎が土下座する。結城もそれにあわせて、頭を下げた。
 二人が頭を上げると、それを持っていた阿山は、ボロボロと涙を流しながら言った。
「……軽い。……軽いなあ……。軽いですよ……。俺と花果の子どもの命、こんな紙切れ程度の重さしか、ないんですか……?」
 しばらくおいて。

 阿山は一つの決断を下した。


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