帝都文明亭を出た僕と貴織さんは、実は途中まで、帰る方向が同じだ。時刻は午後七時四十五分。 この時間にここを通るのは、実は初めてだ。 「なんか、新鮮よね」 と、貴織さんが、周囲を見渡す。 「え? もしかして、この時間、この辺りを歩くのって、初めてなんですか?」 「うん。帝都文明亭を、ある意味で『たまり場』にするようになったのって、実は、この最近なの。顕空で言うと、だいたい、六月頃からかな?」 本当に最近だ。 「紫雲英ちゃんがテイボウに入ったのが、去年の……十月の中頃だったかなあ? で、その時は、彼女、麻布(あざぶ)にある小料理屋さんに、住み込みで働いてたの。それまで、みんなの集合場所は、帝都駅前だったんだけど、料理屋さんで集まった方が、お腹も膨れるし、いいんじゃないかってことになって。でも、六月頃に、その小料理屋さんの、ご主人のプロフィールが変わっていって、お店がなくなってしまって。そうしたら、紫雲英ちゃんが『帝都文明亭』で、お仕事してるっていう風に、『設定』が変わって……。あら?」 と、貴織さんが首を傾げる。 「どうかしましたか?」 「え? ええ。そういえば、その頃だったかな?」 「その頃、って、何が?」 ちょっと考えるそぶりをして、頷いて、貴織さんが言った。 「確か、その頃だったわ、浅草が、浅い草、から、麻の草の、麻草に変わったの。……誰か、何か言っちゃったのね……」 なんか、ホント、言葉には気をつけないとなあ。 で、テイボウの昔(といっても、貴織さんが把握している範囲で、だけど)の話を聞きながら、歩いていたとき。 「あら?」 と、貴織さんが何かを見つけたらしい。 僕もその方を見る。そこは、居酒屋だろうか、提灯があって、そこに映っている文字は。 「『みたま』、ですか。ちょっと、変わった名前ですね?」 「ねえ、救世くん。ちょっと、飲んでいこうか? 今、お店開いたばかりみたいだから、空(す)いていると思うし?」 「いいですけど?」 「じゃあ、いこ! ……君の恋愛相談にも、興味あるし?」 と、貴織さんは意地の悪い(ように見える)笑みを浮かべる。 僕の場合、純粋に「恋愛相談」という訳じゃないけど。そうだな、誰かに聞いてもらうのもいいかも知れない。 そして、お店の前まで来たとき。僕は何となく言った。 「またみ」 「え? 救世くん、今、なんて?」 「いや、逆から読んだら『またみ』になるなあ、って思って。ほら、この間から『アナグラム』とか、『live』の逆が『evil』とかってあったんで、つい癖になっちゃって」 「またみ……」 と、貴織さんが看板を見上げて呟いた。 「またみ、MA、TA、MI。……MAT、AMI……」 突然、何かに気づいたようにお店に飛び込むと、貴織さんはお店のご主人に、つかみかからんばかりに聞いた。 「ねえ、大将!! ここに、面河っていう人、働いてない!?」 え? なんで、面河さんの名前? 「なんですか、お客さん、出し抜けに? ……ええ、確かに、面河っていうのは、うちの料理人ですけど?」 「いるのね!?」 「ええ。でも、いつもいるわけじゃなくて、時々、フラッとやってきて、その時に、料理を作ってもらってるんです」 貴織さんの勢いに、面食らっているのか、お店のご主人はちょっと、とまどい気味に言った。 「うちとしては、ちゃんと雇いたいんだ。気の向いたときに、プラっ、と来られるのは、かえって迷惑なんでねえ。でも、面河さんの料理、お客さんからの評判いいし、下手なこと言ってへそまげられて、来なくなると困るし。多分、どこか名のある料亭の料理人なんじゃねえかなあ?」 貴織さんが「あのお店、ここの名前が元になってたのね」とかって、呟いてるけど、それを気にせず、僕は何となく聞いた。 「『みたま』っていう名前、珍しいですよね?」 「ええ」 と、お店のご主人が破顔した。 「私らが提供するのは、お酒や料理だけじゃありません。心意気、『たましい』なんです。たましい、って『御魂(みたま)』っていうんです。だから、ここの『屋号』は『みたま』なんですよ!」 なんか、こういう人のことを、職人っていうんだろうな。
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