「介護ってね、綺麗事じゃないんだ」 現場から戻る道々、僕と千宝寺さんは、那川さんの話を聞いていた。 「一年半ほど前からなんだけど、母の様子がおかしくなった。それまでも、耳が遠くなっててコミュニケーションに支障を来したり、手指が思うように動かなくなってて、いろいろとトラブルのようなものが起きてた。でも、明らかに言動に妙なものが混ざり始めたんだ」 そして、僕たちを見る。 「例えば、注文した覚えのない商品が大量に届いたり、請求書が山のように溜まっていたり。おかしいと思って、休みの日にチェックすると、母さんが通販番組を見て、片っ端から注文していたりしたんだ。そのくせ、本人は注文したことを覚えていない。挙げ句に、『なんでこんな物を買ったんだ』て怒り出す始末。徳子……僕の妻も、半年ほど前から、限界に来ていることがわかった。でもね、そんな状態でも、僕にとっては、大事な母さんなんだ。施設に入れるとか、そんなの、考えられなかった。兄さんは海外だし、姉さんも、向こうの家族との折り合いがあるから、僕のところで、母さんを見るしかなかったんだ」 ふと、息を吐く。 「僕もいらだってきていて、おまけに、母さん、耳が遠いから、話をしようと思ったら大きな声にならざるを得ない。声を張って話をしているとね、心が荒れてくるんだ。だから、自然と、言葉も荒くなる。お互いの会話が、喧嘩のようになってくる。あとで知ったけど、ご近所の一部では、僕たち夫婦が母さんを虐待しているかのように、思っていたらしいんだ。誤解は解けたけどね」 いろいろ難しいんだな、こういうのは。僕のところは、婆ちゃんは、二年前に死んじゃったけど、爺ちゃんはまだまだ元気だから、那川さんの話は、どこか遠い異国の話にしか思えない、申し訳ないけど。 「六月だったけど。母さん、風邪を引いたんだ。ところが、こじらせて、肺炎になって。……あっという間だった。ついこの間だったんだ、四十九日の法要をしたの」 千宝寺さんが沈痛な表情になる。 「そうでしたか……」 那川さんが、どこかさっぱりしたような表情になった。 「あのディザイア、多分、僕が生み出したんだと思う。いろいろとあって、僕は母さんに、純粋な恩返しが出来なかった。その後悔が、あのディザイアを生み出したんだ。だから、あの『母さん』は、僕に恨み言を言わなかった。自分の中では区切りがついていたつもりだったけど、そうじゃなかったんだね。せめて、僕の中では、母さんはやっぱり『優しく、色んなことができる、母さん』でいて欲しかった。そういうことだったんだと思う」 ディザイアは、顕空の誰か、特定個人の欲念が、形になったものだっていう。しばらく、沈んだ空気が流れる。その沈黙を破ったのは、千宝寺さんだった。 「那川さん、『私のこと』は、ご存じですよね?」 「うん。それが?」 ……? なんか、二人だけの了解事項みたいだな、よくわからない会話だ。 「ここ『大正十二年界』は、冥空裏界の一部。さらに冥空裏界は幽界の一部。幽界には、生きている人の意識も訪れますが、基本的に死者が訪れます。それに、お忘れですか? ディザイアは特定個人の意識が元になっています。だから、もしさっきのディザイアが、那川さんから生まれたものなら、那川さん、ここに護世士として来ていませんよ?」 何かに気づいたように、那川さんが、千宝寺さんを見る。 「……ええ。私が霊査した限り、ですが。あのディザイアは、正真正銘、那川さんのお母様です」 柔らかな笑顔の千宝寺さんを見ていた那川さんだったけど。 「そうか。君が言うんなら、間違いないね」 那川さんも笑顔になる。 そして。 「有り難う」 那川さんが僕たちに一礼した。
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