八月八日火曜日、午後三時半。 とりあえず、僕の、帝星建設での仕事は終わりだ。午後シフトの人との引き継ぎも終え、C−members社へ帰ることになったけど、実は、すぐに帰るわけじゃない。まあ、十分ぐらいは、「休憩」して、午後四時までに帰ることになってる。 ちなみに、生田さんは、四時半から、今度は別の企業さんの「夜シフト」の清掃に行くことになってる。 僕は、副頭から命じられていたことをすることにした。昨日は、一階でやったから、今日は、五階辺りでやろう。 僕がいるのは「五階資料室」の前。ここは、ちょっと奥まったところにある。 そのドアの前で、僕はポケットから「鍵」を出した……ところで。 「君、何をしてるんだ?」 声がした。振り返ると、そこにいたのは、 「ああ、正力さん」 五階には、総務部っていうのと、人事部っていうのがある。この人は営業部じゃなかったっけ? こっちに歩いてくる正力さんだけど、なんか、空気がおかしい。まとっているものがおかしいっていうか、この人の存在そのものに違和感があるっていうか。何より、昨日とはうって変わって、僕に対して、ある種の「敵意」みたいなものを感じるんだ。その正体が何かはわからないけど。 「くぜくん、だったかな? ここは、君の担当区域じゃないと思うけど?」 「え? ええ、なんていうか、いつ、担当が変わるか、わからないんで、他のフロアも、見ておこうかなって思いまして」 苦しい言い訳だな、と思ったけど、いい言い訳を思いつかない。 正力さんは立ち止まり、しばらく僕を見ていたけど。そのまま踵を返して、歩いて行った。角を左に曲がったから、総務部に用があったのかな? 何か、息が詰まる感じがしたな。 とりあえず、今できなかったことを再開することにした。 僕は「鍵」をドアノブに当て、周囲を見る。そして、ドアノブを眺めて、しばらくして。 「何してるの!?」 ちょっと、鋭い、女性の声がした。 声の方を見ると、廊下にいるのは、眼鏡をかけ、長い髪をソバージュにした若い女性。僕より、十センチぐらい、低いかな? 身長は百六十センチぐらいだろう。ハイヒールの音を響かせて、こっちに近づいてくる。 「あなた、C−membersの社員さんね?」 「はい。バイトの救世、っていいます」 僕は、首から提げた入館証を見せる。そして、彼女が首から提げた社員証を見た。 「大田原溢美」ってなってる。「おおたわら……」、……なんて読むのかな? 「ここは、清掃無用の区域よ。聞いてないの?」 「……すみません」 「指示不徹底だわ」 「いえ! そうじゃなく、僕が勝手に! ……僕、バイトで、実は、このフロアでトイレを探してて……!」 まずい! もし会社の失点ってなったら、申し訳ない! 「大田原」さんは、ふと首を傾げ、納得したように、そして、ちょっと呆れたように言った。 「トイレはエレベーターを出て、左側。反対側よ、気をつけなさい」 「あ、ああ、そうでしたか。すみません」 幸い、フロアの構造が、今の言い訳にとって、都合のいいものになっていたらしい。 僕は一礼して、その場を去った。振り返ると、彼女がこちらを疑わしそうに見てる。タイミング的に、僕が「鍵」を持って、ドアノブに何かしようとしていたことは、見てたはず。 そして、彼女がドアの前に落ちていた「ある物」に気づき、拾う。しばらく眺め、首を傾げ、そして、それをサマージャケットのポケットにしまう。 それを確認して、僕はエレベーターの方へ行った。 副頭から、改めて指示されたことは、こうだった。
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