顕空では、七月七日金曜日の、午後零時半頃だったんだ。冥空裏界に来てみると、八月二十五日土曜日の朝だった。 ここは、書生の僕がお世話になっている、鞍橋(くらはし)材木店の一室だ。 起き上がり、布団を上げて炊事場へ行く。ここでは、僕は家事のうち、配膳を手伝う事になっている。料理も簡単なものなら出来るけど、ここでは食事の支度はまだまだ女性の仕事ということになっているらしい。 作業を終え、朝食を済ませると、僕はここの主人・鞍橋(くらはし)善十郎(ぜんじゅうろう)さんに挨拶をする。 「では、旦那様、大学へ行って参ります」 鞍橋さんが頷く。 「うむ。お国のために働けるよう、精進なさい」 鞍橋さんは、小柄だけど、ひげがあるせいか、やたら立派に見える。そして、実際に立派な人だと思う。今も「お国のために」なんて言ってたけど、それは建前。いつだったか、家の人に話しているのを聞いた事があるけど、「事業は、世のため人のため。勉強も、世のため人のために修めるものだ」って言っていた。 これが正しいかどうかっていうのは、実は僕とは考え方が違うところもあるから、わからない。 しないといけないから、するんじゃないのかな、勉強って? 鞍橋材木店は、目抜き通りというより、ちょっと奥まった方へ向かう通りにある。資材置き場の近くにあった方が、都合がいいから、らしい。 外へ出て、清清しい朝の空気を吸い、日射しを浴びながら、大学への道を歩いていると、伊佐木を見かけた。 こいつが住んでいるのは、確か、ここから遠方で、しかも、通学にはバスを使っていたはず。 「よう、おはよう、伊佐木。なんで、こんなところにいるんだ?」 僕の声に気づいた伊佐木が振り向いた。 「ああ、救世。……そうか、鞍橋材木、この近くだっけ?」 なんか、どこか、ボウとした感じがある。 「どうした、伊佐木、心ここにあらず、て感じだぞ?」 「あ、ああ。……おさわちゃんな、どうも騙されてるフシがあるんだ」 沢子さんと一緒にいた男性は、ディザイアである可能性が高い。そしてここでは「詐欺師」ということになっているから、「騙されている」というのは、間違いはないだろう。 伊佐木は続ける。 「昨日、おさわちゃんが沈んでるような感じがしたんで、それとなく聞いてみたんだ。あの合崎ってやつ、仕事の関係で、緊急にお金が必要で、足りない分をおさわちゃんに無心しているらしい。その仕事の相手が、天空化神教だそうでな。その教会が、この近くにあるんで、ちょっと様子見にな」 ディザイアが、天空化神教と関わりがある。……チェックしておいた方がいいかも知れない。考えすぎかな? ちょっと考えて、僕は言った。 「とりあえず、大学に行こう。今日は半ドンだから、昼から、調べるっていうのは、どうだ?」 不承不承ながらも、伊佐木は頷いた。 きっと今日は勉強に身が入らないに違いない。
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