昼食後、浅黄さんは仕事場へ、僕は大学へ向かう事にした。 その途中の事。 「おう、伊佐木」 学友の伊佐木誠吉を見かけたんで、声をかけたんだが、どこか様子がおかしい。なんか、考え事してるっていうか、ぼうっとしてるっていうか。 「ああ、救世か」 目抜き通りだから、人が多い。それでも伊佐木は人にぶつからず(ということは、注意散漫ではないらしい)、僕のところまで来た。 「伊佐木、どうした、ボーッとして?」 「ん? そう見えるか?」 「見えなきゃ、聞かないよ」 少し考えて、伊佐木は言った。 「この間、おさわちゃんが広島から戻ってきたけど、なんか、様子がおかしいんだ」 「様子がおかしい? なんだ、それ?」 「有り体に言って」 と、伊佐木が僕を見て、そして通りを見ながら、言った。 「いい男(ヒト)ができたらしい」 その視線を追うと、車道を挟んだ通りに、沢子さんがいて、隣にいる男の人と楽しそうに笑い、なにかお喋りしていた。 「あれ? あの男の人……」 遠目だからよくわからないけど、あの男の人、見たことあるような……。 しばらくして男の人と別れた沢子さんが、道を渡って、こっちに来た。 「あら、誠吉さん、心さん」 僕たちに気づき、沢子さんが、笑顔で会釈する。 「あ、ああ、おさわちゃん」 明らかにぎこちない態度で、伊佐木が応える。 「え、と。今の男の人、って?」 恐る恐るって感じで、伊佐木が問うと、沢子さんが満面の笑みで答えた。 「広島からの汽車で知り合ったんです! 合崎(ごうざき)昭夫さん、っていう、貿易会社の人!」 「え? ごうざきあきお?」 その名前に、引っかかりがあった僕は聞いてみた。 「ねえ、それ、どういう字を書くのかな?」 「合計の合に、山偏の崎。昭は……。先年、『漢宮秋』っていう貸本が出たでしょ? アレに出てくる『王昭君』の昭の字に、夫っていう字」 「かんきゅうしゅう」とか、わけがわからなかったけど、僕はどうにもその名前が気になっていた。 伊佐木は、別の事が気になって仕方がなかったみたいだけど。
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