おかしいなあ、確かに、この辺だったのになあ。 僕が冥空に来たのは、顕空では七月三十一日の午後十一時頃だった。冥空では八月十七日の金曜日、夕方頃だったけど。 で、伊佐木と一緒に、貸本屋に行こうって事になって、缶田まで来たんだ。 でも、その時、ある民家と、多分、個人経営の書店との間にある、路地の先に、立て看板が見えた。その看板に「平田古書」って書いてある気がして、そこへ行こうとした。 「おい、救世、ちょっと、手伝ってくれ!」 その声に振り向くと、伊佐木が、海老反りになって、書店の前に重ねて置いてあった木箱を支えていた。 どうやら、なにかのアクシデントで、崩れかかってきた箱を、伊佐木が支えているらしい。 で、慌てて、それを助けて一段落ついたと思って、もう一度、路地裏を覗いたら、立て看板はなくなっていた。 昨日は、そのままになったから、今日、半ドンで大学が終わって、ここに来て、その路地を抜けてみたんだ。 そうしたら、それなりに広い通りに抜けたけど、「平田古書」なんて、なかった。 しばらく辺りを歩いてみたけど、それらしいものはない。完全な見間違いだったのかも。 そう思って、また元の通りに戻ろうと思ったときだった。 「救世さん!」 僕を呼ぶ声がした。その方を見ると、女学生の天夢ちゃんが小走りでこっちに向かってきていた。 「ああ、天夢ちゃん」 僕のそばに来ると、天夢ちゃんは言った。 「どうしたんですか、こんなところで?」 「昨日の夕方だけど。この一本、向こう側の通りから、こっちを見たときに、『平田古書』っていう立て看板が見えたような気がしたんだ。だから、今日、確認に来たけど、それらしい建物はないし」 天夢ちゃんが首を傾げる。 「ここ、あたしが使ってる通学路ですけど、本屋さんはありますけど、平田古書さん、って見たことないですよ? っていうか、ここは、裏通りで、どっちかっていうと、民家しかないぐらいです。……あ、でも、骨董屋さんがあったかな、『篠谷(しのたに)屋』さんっていう?」 ああ、天夢ちゃん、この辺りを利用してるのか。なんか、位置関係が今イチ把握しづらいんだよな、ここ。うまく表現できないけど、移動に要する時間の感覚が掴みづらいっていうか、道と道の繋がりが今イチ、掴みづらいっていうか。 簡単に言うと、この間は歩いて半日ぐらいかかってた距離が、今日はそれほど時間がかからないとか、ある通りを歩いて、三本目の角を曲がったら、ある道に出るはずなのに、違う日には四本目の角を曲がるんだったり。 よく使う道では、そういうことは起こらない。あまり使わない道とか、以前は使わなかった道、なんかで、よく起きるみたいだ。……ていっても、そう感じたのは、二、三回程度だけど。 そうだな、天夢ちゃんもいるし、ちょっと聞いてみよう。 僕は、今抱いた疑問について、聞いてみた。 頷き、天夢ちゃんは言った。 「あたしも、何度かそういう体験したんで、千宝寺さんに聞いてみたんです。なんでも、『この場所は、こうなっている、あの場所は、ああなっている』っていう『認識』が確立されないうちは、変化しやすいんだそうです。だから、テイボウのメンバーの誰かが、頻繁に行き来するところは、そうでもないけど、あまり立ち寄らないようなところは、ちょくちょく変わっているみたいですよ? それに、久しぶりに、ある場所へ行こうと思ったら、半日経っても、たどり着けない、なんてこともあるらしいです」 「現実世界と変わらんなあ、それ」 しばらく行かなかったら、周りの様子が変わってて、割と本気で道に迷う、とかってあるけど。 そう思っていたら、ある店から、一人の女の人が出てくるのが見えた。十メートルぐらい向こうだけど、誰かすぐにわかる……ていうか、あんな奇妙な服装は、ここじゃ珍しい。 白いブラウスに、空色の、ミニのプリーツスカート。スカートには、黄色い格子模様。 天夢ちゃんが言った。 「……沢子さんですねえ……」 なんか、遠い目になってる。 なので、僕も。 「……うん。沢子さんだねえ。……気のせいか、市立上石津東高校の、……紫雲英ちゃんの高校の、女子の制服に似てるよねえ……」 「救世さん、報告書、読みましたよね?」 「……うん」 「……気をつけましょうね、言葉には」
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