明宝亭の新メニューは、「あんかけ焼きそば」だった。安立(あんりゅう)区に、新しい中華料理屋が出来て、そこの目玉の一つがあんかけ焼きそばなんだ。明宝亭にはその料理がなくて、それを導入することになったらしい。 なんていうか。 おいしいんだけど、中華丼にのせる「あん」を、そのまま、焼きそばの上にのせてるだけのような感じがして、それは、明宝亭のご主人もわかってた。ただ、どうアレンジしたらいいか、そのあたりを研究したいから、ってことで、まずは、僕をモニターに選んだって事らしい。 明宝亭を出るとき、紫雲英ちゃんが、なんだか名残惜しそうにしてたけど、意識しないことにする。僕がモテるわけ、ないしね。 明宝亭は、芯岳区の西にある。ここからちょっと歩くと、市電の駅があるから、そこで市電に乗って帰ろう。 で、しばらく歩いて、バス停と市電の駅が並んでる通りに出たとき。 「あれ? 救世くんじゃない」 と、僕を呼び止める声がした。 「ああ、貴織さん」 梓川貴織さんだった。 「どうしたの、こんなところで?」 と、貴織さんが時計を確認する。午後九時。 「ええ、ちょっと、明宝亭で新メニューの試食を」 「へえ。いいなあ、今度、あたしも呼んでよ」 貴織さんがうらやましそうに、そんなことを言ったとき、浅黄さんがやってきた。 「あれ? 貴織に救世。珍しい取り合わせだな」 「あたしは、今日は、早く上がったから」 「僕は、明宝亭で、新メニューの試食を」 「そうか」 と、浅黄さんはちょっと、考えてから言った。 「俺は、仕事帰りだ。同じ課の同僚と、どこかで飯でも、って言ってたところだったんだが、そいつ、用が出来て、帰っちまってな。あちこち、ブラついてる途中だったんだが、……どうだ、これから、つき合わねえか?」 「え? いいの? 比呂さんのおごり?」 「誰がおごるか」 そう応えた後、浅黄さんが僕を見る。 「ああ、僕は、さっき食事を済ませたばかりなんで」 「そうか」 と、浅黄さんがちょっと残念そうに言う。 お腹いっぱいだし、それに。 僕は二人を……っていうか、貴織さんが浅黄さんを見る目に注意する。……うん、邪魔しない方がいいかもね。 二人が連れ立って歩き出そうとしたとき。 「あれ? きおちゃん?」 と、背後から、女性の声がした。 振り返り、その声の主を見た貴織さんが、ビックリしたのか、目を丸くした。 「お久しぶりです、先パイ!」
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