「天夢ちゃん」 「はい、なんですか、救世さん?」 天夢ちゃんが、笑顔で僕を見上げる。 「松江さんっていう女の子から聞いたんだけど」 今、言うべきじゃないのは、わかってる。案の定、天夢ちゃんの笑顔が、一瞬で曇った。 でも、早い方がいいって思ったんだ。 もしも。 もしも、だけれど。 この先で、天夢ちゃんの行動が積極的なものになっていって、それに対して、僕が本気になってしまったとき。 その時、彼女の抱く想いを、絶対に利用しない。そんな自信を持てるほど、僕は強い人間でも、聖人君子でもないと思う。 だったら、早い内から、きちんと気持ちの整理をつけておく方が、天夢ちゃんのためになると思う。 「今から、言うことは君を傷つけることだと思う。……僕は、君のお兄さんじゃない」 天夢ちゃんの肩が、ちょっとだけ、まるで、引きつるように動いた。 それに、ちょっとだけ、胸が痛んだけど、彼女が見てる「夢」、あるいは抱いている「幻想」は、決して彼女を救いはしない。 「何があったのか、僕は知らないから、何かを言うことはできないと思う。でも、これだけは言える。僕は、救世心であって、君のお兄さんじゃない。だけど、君が抱えていることを、聞いてあげるぐらいは出来ると……」 「知らないんですよね?」 天夢ちゃんが、僕の言葉を遮った。その声は、とても静かで、いつもと全く違っていた。 「え? う、うん。何があったのか、何も……」 「じゃあ、聞いたら、受け入れてくれますか?」 「……」 何を言い出したのか、よくわからない。 それは、彼女自身も同じらしい。何かを探すような瞳で、僕を見ながら、天夢ちゃんは言った。 「あたしも、わかってるんです。こんなことしても、何にもならないって。でも、そういう問題じゃないんです。理屈とか、そういうんじゃないんです!」 困惑しきった表情の彼女の瞳には、わずかながら光るものがあったように見えた。その光は、決して希望じゃないように思える。 「救世さん。これは、あたしのエゴです。でも、あたし、どうしたら、この気持ちに区切りがつけられるのか、知りたい。だから……」 そして、ちょっとうつむき、何かを考えてから、言った。 「……時間、ください」 「時間?」 「はい。救世さんに話を聞いてもらって。……少しでいいんです、あたしのお兄さんになってください。そして、あたしができなかった……、ううん、しなければならないことを、させてもらえませんか?」 すがるような瞳に、僕は、頷いていた。
平田古書に帰ってくると、面河さんがニヤニヤしながら、僕を見て言った。 「よう、お帰り、色男」 色男? まさか、今の時間、僕と天夢ちゃんが、なんだか桃色の世界へ行っていた、とでも思ってるんだろうか、この人? 「何か、勘違いしてるみたいですけど、天夢ちゃんとは、そんなことは……」 「そうじゃねえよ」 と、面河さんは、かわらずニヤニヤ。そして、一枚のメモ紙を僕に手渡した。 「お前が出かけてる間に、紫雲英ちゃんから電話があってな。『明宝亭に、新メニューが出来たから、今夜、閉店後に、試食に来てくれ』ってさ」 「そうですか。紫雲英ちゃん、僕の携帯の番号知ってるから、直接かけてくれたらいいのに」 「わかってないなあ、お前」 と、面河さんは大げさに言ってみせる。 「まずは、様子見、だろ?」 「様子見?」 「紫雲英ちゃんとしては、お前のことが気になってる。だから、お前に直接、電話をかけるのが、前ほど、気安いものじゃなくなってしまった。そこで、とりあえず、周辺から連絡を取って、自分や相手の気持ちを確かめながら、距離を縮める」 「……それは、面河さんの妄想なんじゃあ……?」 でも、面河さんは、それを聞いていないかのように、 「青少年保護育成条例は守れよ」 なんてことを言った。
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