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作品名:帝都、貫く、浄魔の拳 作者:ジン 竜珠

第108回   伍の七
 帰り際、玄関で矢南は言った。
「そういえば、今日は、着けてないんですね、あの髪留め」
「え!?」
 思わず、鼓動が跳ね上がる。この動揺が悟られはしないか、注意しながら、言った。
「え、ええ。……なんで、髪留めのことを、ご存じなんですか?」
 あれは、晴幸と結婚してから購入したものだ。この男が知るはずはない。
「いえ、先月、帝星建設本社へ、お伺いしたんです。新規物件の、管理システムの入札があるということで、その概要を伺いにね。その時、事業管理部で、部長さんとお話ししているところを拝見しましてね」
 そういえば、先月、父の忘れ物を、母にかわって届けに行ったが、近くに、この男もいたのか。
「大きなサファイアが光る、素敵な髪留めで、よくお似合いでした。……いつもおつけになることを、オススメしますよ?」
 そう言って、矢南は去って行った。
 それを見送り、奈帆は、そこにへたり込んだ。
 まさか、あの男、奈帆の髪留めを手に入れたのではないだろうか? それで、唐突にあんなことを言ってプレッシャーをかけてきた。
 では、どこで手に入れたのか? 公園以外に考えられない。だが、その髪留めを手に入れたところで、それと、佐溝殺しに奈帆が関与しているということを、結びつけることは出来ないはず。
 あの男が、あんなことを言ってきた思惑が、まったくわからない。わからないだけに、不気味だった。
 こうなれば、あの男も、黙らせるしかない。そうしないと、いつまでも強請られ続ける。
 あの男、佐溝に金を貸し続けていた。イヤなら断ることも出来ただろうに、自分が苦境に陥ってまで、金を貸すということは、余程の弱みを握られていたに違いない。
 調べてみようか。
 だが、大学時代となると、もう二十年前。その頃のことを調べるなど、不可能だ。
 いや。佐溝が通っていた大学のことはわかっている。まずは、当時、その大学近辺で、刑事事件がなかったか、調査してみてもいいかも知れない。そうでなくとも、あんなことをしてくる人間だ、叩けば埃の出る体に違いない。
 奈帆は、電話帳を開き、調査会社の項目を調べ始めた。

「奈帆、奈帆ってば?」
 奈帆を回想から現実に引き戻したのは、友の声だった。
 奈帆が帝星建設に勤め始めて間もない頃。当時は経理部経理第二課にいた。この部署は、県内外の支社の、収支を精査する部署だ。その声の主は、当時、同じ部署にいた、鈴田菜緒恵(すずた なおえ)だった。菜緒恵は、奈帆が経理第二課にいた最後の年に、就職してきた。年も近く、名前も似ていたことから、親近感を覚え親しくなり、奈帆が広報に異動してからも友だちづきあいしていた。結婚後、奈帆は退職したが、その後も交流は続いている。
「ああ、菜緒恵」
「どうしたの、見かけたから声かけたのに、ぼーっとしちゃって?」
「うん、ちょっとね、考え事。そっちは、どうしたの?」
「ちょっとね。旦那もどこか遊びに行ったし、私も、ね」
 菜緒恵は奈帆より、一年早く結婚した。もともと「お互い、束縛しないでいよう」との「取り決め」があったそうだが、それがどうも、最近では単なる「無関心」になりつつあるらしい。
 いや、そもそも菜緒恵の夫が、自分が外に女を作るために、そんなことを言ったのではないか、と、菜緒恵は言っている。
 それと比べると、奈帆と晴幸は、お互い、必要としあっていたと思う。
 そう、横領事件が発覚し、晴幸と離婚したあと、奈帆の心に、埋めようのない虚無が生まれたのを、奈帆は確かに感じたのだ。


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