髪留めがなかった。大きさは、長さ五センチ、幅二センチほどだ。もしかしたら、シートの下かと思ったが、そこにもない。 もしかしたら。 変装のために髪留めを外し、帽子の中にまとめた。その髪留めは助手席の上に置いた。 息を吹き返した佐溝は、もしかしたら、助手席にあった髪留めを無意識に掴んだのかも知れない。 だとしたら。 あの時、佐溝はクズかごに手をかけていた。まさか、あの中に放り入れたのでは? 咄嗟に「マズイ」と思った。あとから思えば、捨て置けばよかったのだが、なぜかあの時は「何らかの証拠になってしまうかも知れない」との強迫観念に囚われてしまったのだ。 「ちょっと待って、まだ、持ってるかも?」 そうだ、もしかしたら、まだ、佐溝が持っているかも知れない。 そう思い、奈帆は、佐溝の死体のところまで戻った。上着、スラックス、シャツなどのポケットをくまなく捜したが、それらしいものはない。財布やスマホがなかったことを奇妙に思ったが、そんなことを気にしている余裕はない。 奈帆は、すぐに、青清木の公園へとって返した。
あの時、佐溝が手をかけていたクズかごは、どれだったろう? 駐車場から、柳の並ぶ遊歩道を見る。一番手前の柳、三本置いて、五本目の柳の傍に、それぞれクズかごが見える。 おそらく、一番手前だろう。そう思い、奈帆は、クズかごをあさる。 ゴミを引っ張り出し、辺りに放っているとき、車が駐車場に停まる音がした。 まずい、見られたら、不審に思われる。今の自分は、変装をしていない。 仕方がない。仮にここから奈帆の髪留めが見つかっても、佐溝の死と結びつけるものは、何一つないはず。 奈帆は遊歩道を駆け、車に戻る。新たに来た車には、見覚えがあった。 自分の車に乗り、発進させたとき、その車が、佐溝とつき合っていたとき、大学時代の後輩だと紹介された男の乗っていた車に似ていた、ということを思い出した。
海水浴場に戻ると、十一時二十分になっていた。死体が何者かに発見されたようで、パトカーが何台か、停まっている。それを放心状態で見ていたとき、晴幸から電話がかかってきた……。
翌日、佐溝の死体発見のニュースが流れたが、警察が奈帆や晴幸の元を訪れることはなかった。 大丈夫だったのだろうと安堵していた三日目。 あの男……矢南徹明がやってきたのだ、奈帆のもとに……。
(肆「分明なりしものども」・了)
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