家の中から、お父さんとお母さんの笑い声が聞こえてきます。それに混じって、こんな会話が聞こえてきました。 「あんた、まだ、こんなに金貨が残ってるよ!」 「そうだな、お前。いっちょ、商売でも始めようか?」 その言葉が合図だったのか、ヘンゼルは、扉を蹴破りました。 お父さんとお母さんが、こちらを見て、表情を強ばらせます。それは「有り得ないものを見た」ようでも「どうごまかそうか」のようでも、「もう逃げられない」という観念のようでもあり、判然としません。 一呼吸おいて、お父さんが笑顔を貼りつけて言いました。 「ヘ、ヘンゼル、ぶ、無事だったのか!」 お母さんも言います。 「心配してたんだよ、今まで、どこにいたんだい!?」 お母さんは、笑顔を作り切れていませんでした。 それについては追求せず、ヘンゼルは言いました。 「……その金はどうした?」 お父さんが、慌てて、それをかき集め、どこかに隠そうとしましたが、うまくいかず、ばらばらと床にこぼれ落ちて、音を立てました。それはこの場の空気に不釣り合いな、澄んだ音でした。 「そういえば」 と、ヘンゼルは口に薄い笑みを浮かべて言いました。 「いつだったか、お前、酔っ払ったときに『ヘンゼルの名は、「地獄(ヘル)の天使(エンゼル)」だ』とか、言ってたなあ」 「そ、そうだったか?」 脂汗を浮かべるお父さんの顔を見ていると、こんな男が自分の父だったのか、と、情けなくなりました。 「もう一度、聞く。その金は、なんだ?」 何事か答えようとしたお父さんの額を、ブラックホークの吐き出した四四マグナム弾が撃ち抜きました。 調子外れの間抜けな悲鳴を上げて、お母さんが椅子から跳ね上がり、ヘンゼルに背を向けて逃げ出しましたが、その行く手には、いつの間にか回り込んでいたグレーテルが、ツヴァイハンダーを手に立っていました。そして、グレーテルがツヴァイハンダーを両手で抱え上げ、刃で水平に空間を薙ぎました。 お母さんの下半身は、両膝を床についてその場にとどまり、上半身は十数ジャーマンエル先の壁に両手をついて、そのまま物も言わずに、ずり落ちていきました。
家を出たヘンゼルの背に、グレーテルの声が届きました。 「どこへ行くの?」 「……俺たちのように泣いている子どもたちがいる。俺は、腐った世界を、終わらせるために、『組織』を潰す」 「あたしも行くわ」 「わかってるのか? 俺が行くのは、修羅の道、狂った道だ。お前を道連れにはできない」 その言葉に、グレーテルが血に濡れた顔に、笑みを浮かべて答えました。 「あたし、腐った日常より、狂った世界がいい。ヘンゼルと一緒に、狂いたい」 数呼吸のち、ヘンゼルは黙ってグレーテルを抱き寄せ、熱い口づけをかわしました。 ヘンゼル十歳、グレーテル八歳の晩夏。 地獄への道を歩み始めた、忘れ得ぬ、夏の終わり……。
(ヘンゼルとグレーテルの物語。・了)
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