邸宅に帰ると、雨が降り始め、瞬く間に土砂降りとなりました。時折、雷鳴さえ、聞こえます。「シュヴ」は貴賓館に行き、ブレンバリ候の荷物を漁りました。部屋の照明は消していますが、わずかな光でも字が読めるように訓練されています。 「なんか、変ッスねえ? 鞄(かばん)の中の荷物は乱雑に突っ込んであるだけ。こっちの鞄は鍵が壊れてる。……ていうか、壊されてるって感じ。身の回り品の管理がなってないッス。よくもまあ、こんな不調法な使用人を、放っとくッスねえ、あのスケベ貴族は」 妙なものを感じはしましたが、それはさておき、鞄の底布を剥がしたり、帽子の内側の布を剥がしていたりすると、ほどなくして、数冊の薄い小テキストが出てきました。 「おもっきし、悪魔の印章ッスねえ、これ。こっちにあるのは……。『われは、地獄に宿る偉大なる精霊を呼び起こさん。至高の名にかけて……』。悪魔召喚に使う呪文みたいッスねえ」 それらの本をザックに収めたときです。 「何奴(ナニヤツ)だッ!?」 突然、怒号が轟きました。 振り向くと、部屋の入り口に、ブレンバリ候エスビョルン。 『え!? なんで!?』 驚きました。あの様子では、当分帰ってこないと思ったのですが。 「なにやら驚いているようだが。……そうか、貴様、盗人(ぬすっと)か?」 そう言って、近づき、燭台をこちらに向けます。 「お前は、あの時の女? これは困ったことだ。ストランドバリ候に、ご報告……いや、『苦情』の一つもネジ込まねばなあ」 と、意地の悪い笑いを浮かべます。 何が「苦情」だ、「無理難題」だろうが、と思いつつ、平静を装って「シュヴ」は言いました。 「お出かけになってたんじゃないんスか?」 間違っても、「すぐに帰ってくるような様子じゃなかったが?」の様なことは言えません。 ブレンバリが鼻で笑うように言いました。 「護衛の者が、教会から逃げ去る不審な『影』を見ておったのだ。田舎ゆえ、家と家の間が開いておって、しかも明かりも少ない。それだけに、どこか一方向からの光を受ければ、『影』が伸び、動きが分かるのだ。私の護衛は優秀でな。そのように気づいたそうだ」 そうだったか。自分の姿は見とがめられないように気をつけたつもりだったが、地面に映る「影」までは注意しなかった。普段することは「偽造」や「探索」ばかりだったのです。手指の器用さから、彼女は主になにかの「偽造」を依頼されることの方が多かったのです。そこから、彼女は、組織では「指姫」の通り名がありました。なので、このような「かく乱」の技能(スキル)が、すっかり錆びてしまっていたようです。それとも、「気づかれることはない」という、油断があったのでしょうか? ……それ以前に、いくら雨音が激しいといっても、近づいてきている足音に、全然気づけなかったということ自体、彼女の感覚が緩んでいた、ということでしょう。 「その『影』が、ストランドバリ候の邸宅の方へと走っていったそうでな。護衛の者は直感的に思ったそうだ。『ストランドバリ候が差し向けた、間諜(スパイ)の類(たぐ)いではないか』とな。護衛の者も、私の『していること』を『理解』ておるからな。もしそうなら、私から一言、言わねば、ということで、こうして戻ってきたのだ。ストランドの辺境候に会おうと、この部屋に戻ったら、扉が開いておったのでなあ」 ニヤニヤとするブレンバリの目が、「シュヴ」の胸元や、太ももに泳ぐのを、彼女は見逃しませんでした。
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