その時です。 「アダッ!」 ブレンバリが声を上げました。そして、マルグリットの手を離し、自分の頭を撫でました。 「いやあ、申し訳ないッス! うっかり手が滑っちまいました」 妙に明るい女の声がしました。 「なんだ、貴様ッ!」 声を荒らげ、ブレンバリが振り返ります。マルグリットも、その方を見ます。 そこにいたのは、昨日(きのう)、メイドとして雇い入れた少女でした。どうやら手に持ったほうきが、ブレンバリに倒れかかったようです。 「……フン。あっちへ行け、下民が!」 ブレンバリの言葉に、「申し訳ねッス」と、少女は苦笑いで頭を何度も下げながら、部屋を去りました。 「さて」 と、再び、ブレンバリがマルグリットの方を見て、怖気(おぞけ)の立つ笑いを浮かべたとき。 「ぐあっ!?」 また、ブレンバリが奇声を発しました。見ると、今度は何冊も厚い本が重ねられ、その状態で(どういうわけか)少女がつまずき、(これまた、どういうわけか)その本の束がブレンバリの脳天にたたき落とされたようです。 「ハッハッハッ。すまねえッス、つまずいちまって! ここ、暗いから!」 少女は、悪びれもせず、笑います。 「一度ならず、二度までも……!」 怒りの表情でブレンバリが振り返りました。そして、その少女の手を取り、ひねり上げようとして、逆にひねり上げられてしまいました。 うめき声を上げるブレンバリに対し、少女は口元は笑いながらも、不意に真面目な目になって言いました。 「『おいた』が過ぎると、ご当主様に言いつけますよ? お立場上、まずくないッスか?」 ブレンバリは、苦鳴をあげるだけです。 その時。 「ブレンバリ侯爵」 と、眼鏡をかけた若い男がやってきました。この男は、この少女よりも数日早く雇い入れた執事の一人です。主に、本来の執事がお客様の接待をしているときに、事務をこなすために、雇った者でした。 少女がブレンバリを離します。 「な、なんだ!」 取り繕うように、ブレンバリは男を見ました。 「司教(しきょう)様が、『お越しいただきたい』とのことです。お使者の方がお待ちですが?」 ややおいて。 「わかった」 と、ブレンバリは、一度だけマルグリットと少女を睨み、去って行きました。男も一礼して、去って行きます。 「大丈夫ッスか。お嬢様?」 少女が歩み寄ります。 「ええ。……有り難う」 その言葉に少女がニカッと笑います。この少女は、両手にいつも白い手袋をしていました。小さい頃に火傷を負い、そのあとが醜いので、このような手袋をしているとのことでした。火傷を負った経緯は違うでしょうが、同じような傷跡を抱え、隠しているというところに、マルグリットは親近感を覚えていたのです。 「しょうのないヤツっすねえ、あの男。さあ、お嬢様、お部屋に戻りましょう」 そう言って、少女はマルグリットをエスコートしました。
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