森の奥に、切り拓いた場所があり、そこに老婆の家がありました。とても立派で、町の金持ちが住んでいる家ほどではありませんが、それでもヘンゼルの住む村の、村長(むらおさ)の家より、立派です。こんな森の奥にあるのは、とても不自然なほどの家でしたが、疲れていた兄妹は、そのまま厄介になることにしました。 「さあ、お食べ」 そう言って、老婆が、兄妹に食事を振る舞ってくれました。 驚きました。 具の多いスープに、グレーテルのほっぺたよりも柔らかいパン、鳥の足に、プディング。そして、オレンジやレモンといったフルーツ。こんな豪華な食事など、食べたことがありません。ヘンゼルは夢中になって、食事を貪りました。 しかし。 なんでしょうか、舌がビリビリと痺れます。それだけではありません、手の指先の感覚がなくなってきています。さらに、上半身を支えるだけの力も、腰から抜けていきます。ふと正面を見ると、グレーテルがテーブルの上に突っ伏しています。 ここへ来て、ヘンゼルは気づきました。 「……テメエ、一服、盛りやがったな……」 そう毒づくと同時に、ヘンゼルの意識はブラックアウトしていきました。 老婆の嘲笑の声を聞きながら。
気がつくと、そこは牢の中でした。 銅製の鉄格子は、ボロボロに錆びており、まるで「何年も使い込まれている」、そんな感じでした。 正面の牢屋には、グレーテルがいて、こちらを心配そうに見ています。 「あ、気がついたのね、ヘンゼル」 その言葉に応え、ヘンゼルは起き上がりました。 「あの婆さん、なんで、こんなことを……?」 グレーテルが「わからない」と首を横に振ったときです。 牢屋のある部屋の扉が開いて、老婆がやってきました。 いやらしい笑い声を立てて、そして、言いました。 「気がついたかい? 安心おし、お前たちを殺しゃしないさ、大事な『商品』だからねえ。今、伝書鳩で連絡を出したから、『組織』から『迎え』が来るのは、十日ほど先になるかねえ」 そして、グレーテルの顎を指で撫でます。反射的にグレーテルがのけぞります。それを見て、くぐもった笑い声を立て、老婆は言いました。 「娘の方は、すぐにでも『客』をとれそうだ。お前は……」 と、ヘンゼルを見ます。 「どこかの剣奴(けんど)として、役に立ってもらおうか」 そして、下卑た笑い声を立てます。 「お前たちは大事な商品だからねえ、食い物は食わせてやるから、安心おし」 そして、部屋を出て行きました。 しばらくして、ヘンゼルは言いました。 「すまねえ、グレーテル。兄として、絶対にお前(めえ)を護ってやるって、誓ったのに」 グレーテルが柔らかに微笑み、言いました。 「いいのよ、ヘンゼル。ただ、『最後の瞬間』は、あなたと一緒に、って思ってたんだけど」 そう言ったグレーテルの瞳は、「女」の目になっていました。 「グレーテル」 ヘンゼルは、鉄格子の隙間から腕を伸ばします。 「ヘンゼル」 グレーテルも、鉄格子の隙間から腕を伸ばします。 しかし、二人の指が結びあうには、あとほんの少しだけ。そう、ほんの少しだけ、届かなかったのでした。
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