ふと呟いた時、アイソポスの言葉に答えるように、青年が言いました。 「しかし、こちらにも事情というものがありましてね」 「一所(ひとところ)に落ち着けない、ということですか」 少し考え、アイソポスが青年を見ました。 「あなたの素性については、問いません。ですが、真にその女性のことを思うのなら、この女性だけでも、落ち着ける場所を求めた方がいいのでは?」 数瞬おいて。 「そうですね」 青年が、意味深な笑みを浮かべます。 それから、少し診察をして、青年が、ふと言いました。 「さきほどのやりとりが聞こえましたが。先生は、悪人でも救うとか?」 「ええ。それが?」 「僕も、さっきの人と同じ考えです。一種の『報い』じゃないかと思うんです。そういう輩(やから)は、放っておくのがいいのでは? それこそ、『天の裁き』が確かに存(そん)することを知らしめることになる。神の御(み)心(こころ)に適(かな)うのでは?」 アイソポスは、青年を見て、静かに言いました。 「これは、私が思っていることです。今の医学で、学術的に証明されたことではありません。君は、年に一度、あるいは数度、必ず風邪を引いたりしませんか?」 いきなりの、わけのわからない質問に、一瞬、青年は困惑したようですが、それでも答えました。 「ええ。確かに風邪を引くことはありますが。それが、何か?」 「人の体は、あえて軽い病(やまい)にかかることによって、病を克服し、病に打ち克つ力を得る。病を通して、人は強くなるんです。つまり」 と、アイソポスは青年の目の奥を見るようにして言いました。 「悪を知らなければ、善を知ることは出来ない」 その言葉に、青年が息を呑むのが、はっきりとわかりました。ランヒルドは、というと。 実は以前、同じようなことを聞いていたので、それほどの衝撃を受けませんでしたが。 「極論かも知れません。ですが、悪を知らなければ、何が善か、わかりようがない。自分が悪の中にいると知って、初めて人は『善』が何かを知るんです。北風を『冷たい』と知ることで、太陽の温かさがわかるんです」 「ですが」 と、青年が反駁(はんばく)を試みようとするのがわかりました。 「病の中で死ぬ者……悪に染まってしまう者もいます。そういう者は、もはや、殺すほかないのでは?」 その言葉に対する返答は、少し間が開いたように思いました。 「そう……かも知れません。ですが、人間は必ず病を克服できます。悪を超えることができるんです。私は、その可能性を信じたい。『死が救いである』など、ふざけています」 「でも」 と、青年は言います。 「その『誰か』によって、苦しんだ者もいます。『死が救い』というのは、その『苦しんだ者』にとって、でしょう? 『死んだ方がいい』という者は、確実に存在する」
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