その時、口笛が聞こえました。それは、彼女を呼ぶようであり、事実、呼んでいるのでありました。 外へ出ると若い男が一人。もちろん、ヨセフィンは、その男を知っています。 「……あなたは……!」 「おはよう、ヨセフィンくん。君にミッションを依頼したい」 「お断りします。この間の仕事で、私はもう……」 「それはわかっている。だからこそ、君には、市井の情報収集のみを任せている。だが、最重要任務なのだ。君に任せたい」 男がヨセフィンを見る目には、まったくといっていいほど、色がありません。言葉の真意をはかりかねていると、男が言いました。 「この国の王族は、不正をはたらいている可能性がある。それを突き止め、証拠を手に入れて欲しい」 そして、こうつけ加えました。 「今回の任務には、何人ものエージェントが失敗している。厳しいものとなるだろう。……特に己の『心』との戦いにおいては」 「……聞いてもいいですか?」 言ってしまってから、その瞬間にヨセフィンは後悔しました。何かを「聞く」ということは、このミッションについて説明を受ける、ということを、暗に認めることになります。 しかし、聞かずにはいられませんでした。 男は、黙ってヨセフィンの言葉を待っているようでした。 なので、彼女は答えました。 「この国の王族は、男子しか王位を継承できないと聞きました。また、王位を継ぐには、結婚していることが……世継ぎをすぐにでも、もうけられる状態になっていることが条件、とも。……今、この国の王は病で余命幾ばくもないとか。王子が結婚していない、この状態で崩御すれば、王子はすぐに王位を継ぐことは出来ず、摂政(せっしょう)を置く事になる。普通は王妃が後見(こうけん)を兼ねて摂政につくが……」 そして、自分の気持ちを確認しつつ、続けました。 「今の王妃は王子の本当の母ではない。だから、摂政は、違う者がつくが、その者は場合によっては反王妃派の者がつく怖れがある。だから、王妃は王子を早くから洗脳し、自分の意のままにした。王子が后探しを進めているのは、そのため。つまり、その背後にあるのは王子の意志ではなく……」 「つけ加えよう」 と、ヨセフィンの言葉を遮り、男が言いました。 「国王が病に倒れたのは、今の王妃が後添えとして入ってからだ」 そして、懐からたくさんの宝石をあしらった、黄金の短剣を出し、鞘(さや)ごと地に突き立てました。 「先のミッションにおいて、やむを得ず、君は自身で服毒し、そのミッションを完遂した。だが、その毒(どく)に蝕まれ、君の体は過酷なミッションに耐えられるものではないだろう。今回は、君の持つ特別な技能(スキル)が役に立つと、組織は判断した。この短剣は、私からの特別手当だ。売れば、どこか空気と水のいいところで、養生するための足しには、なるだろう。それと」 と、男は懐から小瓶を出しました。中に入っているのは、透き通った血のように赤い液体。 「もし、君が己(おの)が心に負け、組織のことを喋りそうになったら、これを飲め。紅(べに)の液で薄めた酸だ。喉を焼くことが出来る」 こんなことを言う、ということは、この任務において、組織のことを喋りそうになった裏切り者がいた、ということです。何らかの拷問でも受けたのだろうか、と、それに慄然としたものを感じながら、ヨセフィンは小瓶を受け取りました。 そして男は去って行きました。
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