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作品名:テレダンス 作者:古田伊都

第1回   1
 阿波踊り初日の午後6時、私は今、踊りの渦の只中にいます――と
 実況中継のアナウンサーみたいに言いたいところだ。実写映像を元に創られたVR(仮想現実)に私は入っていた。
 演舞場の向こうの端まで、三次元空間が拡がっている。桟敷の観客、釣り提灯。照明塔の光が眩しい。リアルだ――。高張り提灯が通過した。眼前に迫ってくる女踊り。

「具合はどうかな?」
 ヘッドフォンから青山の声。
「ナイス・ジョブだよ。ああ、これはいい」

 女踊りの先頭が来た。踊り子の袖が顔に振りかかる。ヤットサー、ヤットサー。鳥追い傘の下で笑顔がはじけた。
「内田は今どこにいるの?」私を探している。
「えーっと、演舞場の真ん中あたり」
「おいおい、そんなところにいるのか。俺は入り口にいるんだぜ」
「あー、ごめん」

 メニュー画面に戻ってにわか連″をクリック。有名連に先導された大集団が踊りこむところだ。青山が入り口で待っていた。正確に言えば青山のアバター(分身)である。踊り衣装が決まっている。「なかなかじゃないか」と私が言うと、「内田も踊り衣装だよ」。
 うつむくと阿波おどり″と赤く染めぬかれた浴衣に白い足袋「おお……」。
 青山が「手を挙げて足を運べば阿波踊り」と踊りだした。本当は足が先だ。私は少し腰を落として――
 
 4月に遡る。青山とメールのやり取りをした。感染病の影響でアルバイトが無くなったことや、親の介護で参っていることを控えめに伝えた。高校からの親しい友人だが、昔のように、私事をストレートに話すことはしない。
 青山は、大学院を中退して引き籠っている息子を短く嘆いた。仕事面では、VR関連の需要が増えている。テレワークやVR授業のためのハードやソフトの問い合わせが多いらしい……。
 
 文字を入力する指が止まる。何かが閃いた。メールを中断して青山に電話した。
「元気か」「おお、そっちは?」

 感染病が頭にある。短いやりとりをした。お盆に帰省するのかと青山に聞くと「今年は帰らない」。
 私は「今年は久しぶりに阿波踊りに行こうと思う」と言った。
「踊りを見たいのか」と青山。
「いや踊りたいんだ、にわか連で」
「お前、そんな阿波踊りファンだった?」
「いや、最近どういうわけか、にわか連で自分が踊っているシーンが、フラッシュバックのように頭に浮かんでくるのさ」と私は言った。
「にわか連で踊ったことあんの?」
「いや無い。無いが、演舞場でにわか連に混じって、無心に踊っているイメージがしきりに浮かぶ。何もかも忘れて、無我夢中で踊っている自分だ」
「そうなのか……でも阿波踊り中止になるんじゃないか」

 私はため息をついた。
「そうなんだよな。そこで考えたんだが――」
 阿波踊りファンがオンラインで集まって自由に踊れる、VR演舞場みたいなものを作れないかと青山に提案した。それは面白いかもしれないなと、青山はその時はあまり乗り気でなく言った。
 
 そして5月。青山からメールが来た。
 阿波踊りが中止になったね。残念(泣きの絵文字)お前んちに宅配で秘密兵器を発送した。明日着くと思う。中身はお楽しみに(笑いの絵文字)″

 翌日、到着した段ボール箱を開けると、ゴーグルとコンローラー、ノートパソコン、カメラと三脚、ケーブルが入っていた。手紙が添えられていて君のアイデアを採用することにした。一か月VRを試してコメントしてくれ″とあった。

 カメラを三脚に固定した。カメラ、パソコン、ゴーグルをケーブルで接続して電源を入れる。
 ゴーグルを顔に合わせて、後頭部をベルトで固定した。耳はヘッドフォンで覆われる。
「ようこそ阿波踊りへ」というタイトルが見える。タイトルの下に縮小画像が並んでいる。グレーでないカラーの画像を、コントローラーでクリックした。

 踊り広場らしい。百十度の視野が三次元で展開する。演舞場のようには明るくない。
 踊り浴衣と服のままの人が一緒に踊っている。お囃子も聞こえてくる。どこかの連の人も混じっている。踊りを見る人たちと、その横を帰る人たち。たぶん遅い時刻だろう。

 ゴーグルの画面を切り替える。自分の姿を斜め上から見る視点になった。
 青い人形のようなものが、私のアバターである。踊り広場の中にいた。ゴーグルを被った私が足踏みしながら両手を交互に繰り出すと、カクカクした動きでアバターも同じ動作をしている。
 と、子供が踊りながら正面に来た。危ない。急いでアバターの視点に切り替える。
 浴衣を着た小さな女の子が私を通り抜けて行った。やれやれ……。
 ふと気がつくと階下の呼び鈴が鳴っている。音声を切った。
「おーい」親父が呼んでいる。私はゴーグルを外して階段を下りて行った。おむつの交換だろう。
 

 それから一か月、私はVRの「お試し」をして青山にメールで感想や要望を送った。
 アバターの動きを滑らかにしてほしい。コントローラーがめんどくさい――などだ。

 ある日、演舞場でにわか連と一緒に踊っていた(正確に言うと数歩の範囲で足踏みしているだけだが)。一人のアバターを見つけた。青一色だが輪郭で女性とわかった。向こうから声を掛けてきた。

「内田さんでしょ? 私、涼川といいます」
 青山の知人の科学ライターで、
「このイベントを体験取材しています」と言った。
「忍者のようなこの外観は、早く何とかして欲しいです」
 私も激しく同意した。
「テレダンスは病気がうつらないからいいわね」これも即同意した。
 
 8月。青山から新しい機材が届いた。最新のゴーグルとハイスペックのパソコンだった。招待状が添えられていた。
 〈とき 8月12・13日午後5時55開場 6時開幕/会場 オンライン演舞場/下記のURLからお入りください〉

 当日私はすべてセットアップして、午後6時前にサイトに入った。
「ようこそ日本の夏祭り」というタイトル。その下に「阿波踊り」「ねぶた祭り」「よさこい祭り」と、三つの画像が並んでいる。「阿波踊り」以外はグレーである。「阿波踊り」の画像を見つめて瞬きでクリック。コントローラーが要らなくなったのだ。
 踊りマップが表示された。演舞場の画像をクリック。演舞場の真ん中にいた。お気に入りの連が来るところだ。一気にテンションが上がった。
 

 ――お囃子に合わせて差し足で足踏みした。次に手の平を内側にして両手を挙げる。
 踏み出す足の方へ交互に手を下ろす。が、手は手、足は足とバラバラだ。前を行く女性の踊りがいい。その踊りを見ながら踊っていると、踊りが一つにまとまった。あとは何も考えずに踊るだけだ。失職したことも父の介護も忘れてひたすら踊る
「ヤットサーヤットヤット」。

 胸の中に溜まった澱のようなものが気化して上空へ飛散していった。
 お囃子に合わせて二拍子で無心に踊る。無我の境地。これが味わいたかった。
 が、演舞場の中まで来るとさすがに疲れた。部屋″で足踏みしているだけだがこの演舞場は長い。ゴーグルが重いと感じた。年のせいもある。
 にわか連の大半は省エネの踊りをしている。私もペースを落とす。汗をかいた。視野が曇った。
 ディスプレイを上げて現実″に戻る。部屋の冷房温度を下げた。タオルで汗を拭き、クロスでレンズの表面を拭いた。
 ディスプレイをセットして演舞場に復帰。横にいたはずの青山がいない。疲れてリタイアしたか。演舞場の出口まであと少し。

「こんにちはー、涼川です!」

 私や青山と同じデザインの浴衣を着た女性が踊りながら近づいてきた。踊りがうまい。初めて対面したことになる。前に青色のアバターとして会ったが、お互いのっぺらぼうだった。私や青山より一回りぐらい若い感じだ。

「踊りうまいですね」
「内田さんこそお上手」
「いえいえ」手を振って否定した。
 演舞場を出ると青山が待っていた。
「お疲れさん。お茶でも飲みにカフェへ行こうか」
「カフェ?」私と涼川が同時に叫んだ。

「こっちへ」青山が先に立って、演舞場近くの店に案内した。洒落た店構え。私たちを丸テーブルへ導いた。

「二人は手近な椅子″に座ってみて」と言って、青山はシンプルな赤い椅子に座った。
 私が手探りで現実の部屋の椅子″に腰を下ろすと、店の椅子だった。三人がテーブルを囲んだ。

「いらっしゃいませ」
 奥からウエイターが出てきてテーブルの横に立った。
「息子の卓哉です」と青山が言った。卓哉が挨拶した。私たちも挨拶を返した。

(引きこもりの…)内心の驚きは見せない。もっとも微妙な表情などはアバターに反映されないか。

「飲み物は各自で用意して。私はビールを取ってきます」と青山が席を立った。
 数分後四人はドリンクを手にしていた。青山は缶ビール。私は冷えた麦茶を冷蔵庫から。涼川はオレンジジュース。卓哉は缶コーラ。
 父の青山はビールを一息で半分飲んだ。
「息子もさっきまで踊ってたんだよ」
「参考のためにちょっとだけです」と卓哉が笑った。

 おもむろに青山が、VRイベントをうちで事業化することにしたと言った。手始めに阿波踊りを選んだ。卓哉はVRイベントのコンテンツを担当することになりますと言った。

「事業として成り立つの?」私は首をひねった。
「今我々が使用している機材は高額ですが、少し安価な機材でレンタルして、使用料とイベントの参加料を払ってもらえば、何とかペイすると思う」
「でも感染病が収まったら、VRイベントなんて需要があるのかな?」
「需要はあると思います」
 涼川が静かに口を開いた。
「リアルなイベントはお天気に左右されるでしょ。台風で中止とか。VRのイベントなら何時でも開催できる。本番のイベントとコラボしてもいい。誰でも全国から、いえ世界中から参加できるわ。ハンディのある人や寝たきりの人も、手軽なツールで参加できたらいいわね」

 卓哉が「スマートフォンを使う安価なデバイスは、画質も粗く映像のコマ落ちなどあって、快適とは言いかねますが、5Gが普及したら劇的に変わりますよ」。
「5Gって今年から始まった、スマホや携帯の新しい通信規格だよね」
「そうです。通信速度が従来より二十倍速いです。安価なデバイスでも十分楽しめるし、皆さんが今使っているゴーグルも、ワイヤレスになります」
「それはいいわ」
 涼川がにっこり笑った。
「ケーブルが邪魔なのよね。それと、イベントの参加料は低額にしてほしいです」と青山に振った。
「できるだけ努力します。視聴だけなら無料ですが。今日のイベントもライブで配信しました」
 と言ってから、私にお父さんの世話は大丈夫かと低い声で訊いた。
「今日明日はショートステイに行ってる」と小声で返した。
「そうか」青山はビールを飲み干した。
「それじゃ、今日はそろそろお開きということで――」


 画面がフェードアウトした。ゴーグルを外す。疲れていた。麦茶を飲みながら、動画サイトの自分の踊りを見た。
 駄目だ。美しくない。明日も踊ろうと思った。鬱屈を晴らすというより、少しでも美しい踊りに近づくために――。


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