しかし、妻のほうは、まだやる気があるらしく、なんとか、生前の彼女の姿の霊体に戻ると、 『邪魔しないで!……お願いよ、……もう少しだけ、時間をちょうだい!私が、この男を『滅界』に落とすまで!』 と、彪に叫び返し、再び、霊体だけのまま、鬼の形相となり、『合』をにらみつけた。 『合』が、『符』を貼った短刀を構え、言う。 「肉体ごと滅されてくれれば、もう少し要領よく『地獄界』に落としてやれたものを……。私の、手落ちだな」 まだ余裕があるのか、彼女に向かって嗤う『合』に、妻が挑んだ。 『まだよ。まだ私はあなたを滅せるわ』 「そんな弱った霊体だけで、どうしようっていうんだ?……残念だが、もう情けをかけるのは終わりだ。今までの分、それこそ地獄を見せて、あの世に落としてやる。……二度と、私の目の前にその姿を現せないように」 その言葉に、妻も、嗤いを返した。 『あなた……私が、なんの策もなく、あなたに向かっていったと思っているの?』 「なに?」 『あなたが街の『仙士』に力をもらったように、私には、三十年かけて作り上げた、『怨念』の『迷宮』があるわ。……今から、そこへ、あなたを落としてあげる』 妻は、つづけた。 『……きっと、『これなら、『地獄界』に落とされたほうがまだましだった』、と思うと思うわよ。しかも……永遠に、それは、つづく。……そうするために、私は今まで、あなたの力を、少しずつ少しずつ、削いでいっていたのよ!』 妻の魂が、両手を上げた。その彼女の魂自身の『力』を発するようにか、大きく叫び声を上げる。彼女の霊体の胸から、黒い雲のようなものが流れ出した。それはどんどん流れ、なにかを形作ってゆく。『怨念』の具現化したものだろう。 ……空気の震えとともに、彪の『入らずの布陣』内に、妻の『怨念』が作り上げていく、新たな空間が現れ始めた。……暗黒色の、正方形の空間だ。 「……あの中に、『迷宮』が……!?」 彪が、暎蓮を後ろにかばいながら、言った。彪の背中にすがっていた暎蓮が、彼の肩越しにその情景を見て、 「……『怨念』……『邪気』を、こんなふうに具現化された方を見るのは、初めてです……!」 と、驚きを隠しきれないように言った。彪は、それに答えた。 「おそらく、羅羅さんと一度一体化したことで、『仙士』の力の残りが奥さんのほうにも回ったんだ。……あれは、間違いない、『術』を使える者の、技だよ」 短刀片手に、突っ立ってその空間を見ていた『合』は、声を上げて笑った。 「お前の言う、『迷宮』とは、こんなものか?……私も、なめられたものだな!」 『なめているかどうかは、自分で味わってみれば、わかるわ』 妻の魂が、霊体の片手を上げ、暗黒の空間をさした。 その途端、『入らずの布陣』内で、強い風が吹き、その風の力によって、『合』の体が、その空間に引っぱられる。『合』は体に力を込め、うなり声をあげながらなんとか抵抗したが、空間の吸引力は強く、彼の体を空間内に、もらさず引きずり込んだ。空間内に、『合』の姿が消える。 「…………!」 それを見た彪と暎蓮は、寄り添ったまま、息を呑んだ。 妻が、こらえきれないのだろう、鬼の顔をしたまま、笑いだした。その声が、どんどん大きくなる。彼女は、勝利を確信したのだろう、……満足のあまりに、その魂は、『昇天』は無理でも、そのまま霧散しかねない勢いであった。それを見て、彪と暎蓮はさらに戦慄した。 ……少しの間があった。空間が、おそらく口を閉じたのだろう、風が収まり、辺りが静かになる。 しかし、次の瞬間、箱型の空間の中から、背筋が寒くなるような、断末魔の叫びが、絶え間なく聞こえ始めた。 声は、幾度も幾度も繰り返される。裏返り、変わり果ててはいるが、それは間違いなく、……『合』の声だった。 中で、なにが起こっているのだろう。 「……彪様!」 暎蓮が、その声に、耐えられないように顔を伏せ、後ろから彪の肩にしがみついた。彪が、その彼女の手に自分の手を添え、 「大丈夫。……お姫様、耳をふさいでいて!」 と言って、振り向き、彼女の耳に両手を当てた。暎蓮が、目をつぶりながら、自分の耳を覆う彼の手の上から、自らの手を重ねる。 しかし、さしもの彪も、この『合』の叫び声に、そら寒くなり、自分も耳をふさぎたくなった。
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