六
「九時か」滝田は腕時計をのぞきこんで、ため息をついた。「今日も何も現れそうにないな」 ジェセル王のピラミッドが現れてから、二日経つ。スフィンクスが現れてからは五日目だ。だいたい二、三日くらいの間隔で、はっきりとした夢を見るらしい。もちろん、その間は全然夢を見ないというわけではない。小さく光ったり、砂嵐のような画面が現れたりすることはある。ただ、夢見装置で捕えられるほどはっきりとした夢を見ないというだけのことだ。 滝田は美智子と並んで、窓から患者の様子を見守っていた。 「そろそろ、帰った方がいいんじゃないか?」 美智子は黙ってうなずいた。 その時青年が、ささやくような、それでいて緊迫感を帯びた声を出した。 「先生、眼球運動です」 滝田は緊張して振り返った。青年の背後に歩み寄り、のぞきこむと、モニター上で白い十字マークが上下左右に動き回っていた。 「うん。常盤君、脳波は?」 美智子は慌てて波形を調べる。 「入りました。レム睡眠です」 青年が椅子を回転させて、その下についているキャスターをころがして部屋の中央にあるモニターの前に行くのに続いて、滝田もその前に立った。美智子も後からついてきた。 画面は真っ黒なまま何の変化もない。 「十秒経過」 青年が厳かに告げる。滝田は眉をひそめた。ぬか喜びか。 しかしその時、画面が静かに明るさを増し、砂嵐が走り始めた。 「夢か」 滝田は尋ねた。 「夢です」 青年が答える。 画面の砂嵐は徐々にものの形をとり始めた。 滝田は唖然とした。それは、今までのようなエジプトの夢ではなかった。どこかの部屋の中の風景だ。壁に沿って冷蔵庫のようなコンピュータの箱とパソコンが並んでいる。だんだんと映像が明瞭になるに従って、滝田はあほうのように口を開いていった。 中央には大型モニターがあり、床にはいろいろな機器同士を結ぶ配線が這い回っている。間違いない。それは他でもない、この部屋だった。この室内の風景が映し出されているのだ。 「こんな夢は初めてです」 背後で美智子が驚きの声を漏らすのが聞こえた。 あり得ないことだ。倉田氏がこの部屋の中を見る機会はなかった。 ジェセル王のピラミッドの時と同じように、彼は部屋を眺め回していた。滝田達の姿は映っていない。彼には人間は見えないのだろうか。 突然、彼は歩き出した。ゆっくりとモニターの右横に近づいていく。 青年が首を横に向けた。滝田も、おそるおそる、彼が立っているはずの場所を見た。しかしそこには誰もいない。 「常盤君」 「は、はい」 美智子は窓に駆け寄った。何も言わずひたすら下方を見つめている様子から、相変わらず倉田氏は眠り続けているのだと分かった。レム睡眠行動障害は起こっていないのだろう。 画面は入り口から見て左手、美智子が立っている窓の方を映した。その方向に少し移動したかと思うと、九十度右に回転した。モニターの真ん前だ。 滝田は目を真ん丸に見開いた。モニター画面の中にモニターが、そのモニター画面の中にモニターが、延々と続いているのだ。 なにか金属のようなものが、画面の下から上がってきた。スパナだ! 彼はその血管の浮き出た手に、しっかりとレンチを握り締めているのだった。それは、列をなして画面のずっと奥の方まで続いた。 滝田の頭の中に警報が鳴り響く。やめろ。やめてくれ。 スパナが上方に振り上げられた。 「わあっ」 画面が真っ白に光った。滝田は目をつぶった。モニターが粉々に打ち砕かれる様が頭に浮かんだ。 ゆっくりと目を開くと、しかしそこには、何もなかったかのように黒々とした画面があるだけだった。 滝田は、呆然として突っ立っていた。一体何が起こったのか、どう解釈すればよいのか、頭が混乱して整理できない。 ようやく我に返り、窓に駆け寄る。倉田氏は微動だにせず、眠り続けていた。ただ、その口元がかすかに笑っているように見えた。 美智子がPCに駆け寄る。 「常盤君、脳波は?」 「終わりました。ノンレム睡眠に戻りました」 長いため息が、自然と口から吐き出される。一気に十年も歳をとったようだ。 青年が見つめているのに気づき、額をぬぐうと、冷や汗で濡れていた。 「こりゃ、いったい」 喉が乾き、干からびた声が出る。 「倉田さんはエジプトにいるんでしょ? どうしてこんな映像が出るの?」 美智子は誰にともなく、怒ったように言った。 「分からん。今までのはまだ、不可思議ながらもつじつまが合っていた。しかし今度のは、まるでおかしい。見たこともない場所の夢を、どうやって見るんだ? 一体彼は、今度は誰になったというんだ?」
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