五
「何も映りませんねえ」 「同じこと何度も言わないの。はい、コーヒー」 青年にコーヒーカップを渡すと、美智子は窓に近寄って倉田氏を見下ろした。もう何度こうして、昏々と眠り続ける倉田氏の様子をながめたことだろう。今日も朝十時頃医者が来て、点滴を取り替えていった。それ以来全く何の変化もなく、寝返りさえうたず、苦しげな表情のまま眠り続けている。 「それじゃ、私また自分の部屋にいるから。もう一時間くらいしたら、交代しましょ」 そう言って部屋を出ようとした時、青年が大声を出した。 「常盤さん」 大型モニターの前に駆け寄ると、そこに例の砂嵐のような画面が現れていた。 美智子は青年が唾を飲み込む音を聞いた。 画面は徐々に、青と黄土色の色彩を現してきた。 「これは」 「ピラミッドよ」 今度は、前のようなぼやけた映像ではなかった。はっきりと、三角形の王の墓が姿を現していた。それは普通ピラミッドという言葉から連想するきれいな四角錐とは少し違っていて、一つの段が大きく階段のようだ。青色の部分はその背景にある空だった。手前には石垣のようなものが左右に広がっている。 そのピラミッドが、右へ行ったり、左へ行ったりしている。 「辺りをながめ回しているみたいね」 やがてそれは、画面の中央に来て止まった。倉田氏、あるいは倉田氏に乗り移っている何者かは、その王の墓に見とれているようだった。 画面は明るくなったり、暗くなったりを繰り返し始めた。 「消えます」 青年の言う通り、画面は黒くなっていき、そして消えた。 「何秒?」 「十秒です」 美智子は腕組みして、仁王立ちになって考え込んだ。そして脱兎のごとく駆けだした。 「常盤さん?」 しばらくして部屋に戻ってきた美智子が両手に大量の本を抱えているのを見て、青年は驚いたようだった。 「何です?」 美智子は大きな音をたててテーブルの上に本を置いた。それは全部エジプト関係の書籍だった。 「いつの間に、こんなに」 「探して」 青年はきょとんとした顔をした。 「探すのよ。今の映像が、何なのか」 美智子が猛烈な勢いでページをめくり始めるのを見て、青年はあっけにとられたように立ちすくんでいた。 「さあさあ、藤崎君、頑張りましょ」 青年も本を手にとってめくりだす。 黙々と作業を進めるうちに、テーブルの上いっぱいに本が散らばってきた。 「あったわ」 青年が身を乗り出して美智子が開いているページをのぞきこむ。 「これよ。ジェセル王のピラミッド」 それは、段々の部分が崩れかけた、溶けかかったアイスクリームのような写真だった。 「たしかに、これの大昔の姿を想像すると、さっきの映像と一致しそうですね」 美智子は別の一冊を手にとって開いた。アフリカの北東部、古代エジプトの地図である。紅海の横に、ナイル川が走っている。ナイル川に沿って、テーベやテル・アル=アマルナやメイドゥムといった地名が並んでいる。アフリカ大陸がシナイ半島につながる付近で、ナイル川が何本にも枝分かれして地中海に流れこんでいる。美智子はその分岐が始まる根元のあたりを指差した。 「この間のスフィンクスがギザ、ジェセル王の階段ピラミッドがサッカラにあるから、彼はこのあたりにいることになるわね」 それにしても、なぜこんな所にいるのかしら、と美智子は思う。ギザとサッカラといえば古代エジプトでは非常に重要な地域である。ギザのクフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッドとスフィンクスは有名だし、サッカラにも多くのファラオ――つまり古代エジプトの王のピラミッドや、聖牛アピスの地下墳墓等がある。 ひょっとすると、彼もまたファラオなのかもしれない。もっとも、ただの農民なのかもしれないが。 まだまったく謎のままだが、一歩前進したことは確かだ。
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