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作品名:眠れ、そして夢見よ 作者:時 貴斗

最終回   帰省
   帰省


 今日はうれしい日だ。滝田にとって、いいことがある。長男の浩一とその妻が、お盆休みで帰ってくるのだ。
 玄関で呼び鈴が鳴っている。滝田は気もそぞろに立ち上がった。
 ドアを開けると、そこに息子と義娘が明るい笑みを浮かべて立っていた。その間から、今年七つになる孫がはずかしそうに顔をのぞかせている。
「よっ、親父、元気か」
 浩一は紙袋を振り上げて威勢良く言った。たぶんおみやげの菓子だろう。
「こんにちは。お久しぶりです」義娘は頭を下げた。「ほら、たっちゃん、おじいちゃんに挨拶は」
 孫は母親の後ろに隠れてしまった。
「いやあ、よく来たなあ。さあさあ、上がって。暑かっただろう」
 滝田は妻の仏壇がある和室に三人を案内した。テーブルの上には久しぶりに奮発して買った特上寿司が置いてある。
「今ビールを持ってくるからな。ほら、早く座って」
 息子に言ってから今度は孫に笑顔を向ける。
「たっちゃんはオレンジジュースでいいかい?」
 達夫は不安げな顔をしていたがやっとこくりとうなずいた。
 あれからもう五年にもなる。はっきりとは言えないが、年を経るごとに達夫は倉田志郎の夢の中に現れた男に似てくるような気がする。倉田青年からはその後一度だけ、一ヵ月くらい経ってから手紙が来た。あれから月の夢はあまり見なくなったが、達夫は元気でやっているという内容だった。
 はずかしがりやで内気な達夫が、将来宇宙で活躍するような人間になるのだろうか。
 ビールにグラス、オレンジジュースについでに麦茶も盆にのせて和室に戻ると、息子はのんきにテレビをつけて野球に見入っていた。
 義娘は滝田から盆を受け取ってかいがいしくコップに注ぎ始める。達夫は野球に興味がないらしく所在なさげにテーブルを見つめている。
「どうだ、宇宙開発事業の方は」
 滝田は寿司の皿を覆うラップをはがしながら聞いた。
「ああ、ノズルの特許をとったよ」
 浩一は一口ビールを飲んだ。
「ノズルってなあに」
 達夫が初めて口を開いた。
「ああ、ロケットがね、ぶおーって火をふくとこだよ。それで宇宙に飛んでいくんだ」
 浩一がコップを空けると義娘が瓶を傾けて注ぎ足した。
「達夫が大きくなる頃には宇宙に行けるようにしてやるからな」
 浩一の言葉が滝田の肝を冷やした。倉田青年の話はまだ打ち明けていない。探るように達夫に聞いてみる。
「たっちゃんは大きくなったら宇宙に行きたいのかい?」
 達夫は首を横にふった。滝田は少しほっとした。それでもやはり、孫の泣きぼくろが気になるのだった。
 倉田青年が滝田の孫の名前を知るはずがなかった。顔のほくろの位置も。
「親父は? 相変わらず夢の研究をやってるのか」
「ああ、まだ続けてるよ。とは言ってももうあまり役に立ってないがな」
 滝田はまだ所長の身分でいる。しかしお飾りみたいなものだ。研究所に行ったところで、大した事はしていない。夢見の研究は完全に若い世代に引き継がれていた。
 義娘が孫のために寿司からわさびを抜いてやっている。さび抜きのやつを注文すべきだったな、と反省する。
「へえ、暇人なのか」
「ああ、前は休日出勤も当たり前だったけどな。暇を利用して家庭菜園を始めたんだ。見るか」
 滝田が立つと、息子もしかたねえなというふうに立ち上がった。ガラス戸を開け、サンダルをはいてベランダに出る。二人で並んで庭をながめる。
「お、プチトマトだな」浩一は持ってきたビールを飲み干した。「一気に爺臭くなったな、親父」
 少しばかり腹がたったが、まあ確かにその通りだ。
 滝田の研究は、若い世代へ引き継がれていく。滝田の家系も、無事に息子へ、孫へと受け継がれていくようだ。その孫は、将来月へと旅立っていくかもしれない。
「引退かな」
「もう歳だもんな」
 背後で、「ほら、食べていいのよ」という声が聞こえた。
「お菓子はないの? 僕、お菓子が食べたい」と、達夫が駄々をこねた。
「あるぞ。せんべいも最中もようかんも」
「やっぱり爺臭いな」浩一は振り返った。「持ってきたサブレーでも開けてやれよ」
 滝田はうーんとうなって腰をのばした。空には雲も少なく、太陽が照りつけている。ふいに、太陽光線は肌を痛めると言って嫌っていた美智子を思い出した。今頃どうしているだろう。結婚しただろうか。もう四十代の半ばをすぎているはずだ。藤崎青年はどうしただろう。彼ももう四十代だ。みんな歳をとっていく。若い世代が後を受け継ぐ。
 まぶしく照りつける青空に、白い月が浮かんでいた。


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