八
今日も夜の九時をすぎた。雨はまだ降り続いている。滝田は青年が来るのが待ち遠しかった。 ノックの音が聞こえた。「どうぞ」と声をかける。 「こんばんは」 青年が顔を出した。 「昨日の最後のやつは、おまけかい?」 滝田は吸っていた煙草を灰皿に押しつけた。 昨晩は聞かなかった。的中するとは思わなかったのだ。 「ええ。見ようと思って見たわけじゃないんですけど」 青年が予知夢を見ることは確定的になった。 「今日は昨日の続きが見られるのかい?」 「たぶん今日あたり、会えるような気がします」 「ふうん、そりゃ楽しみだ」滝田は立ち上がった。「それじゃあ、行こうか」 薄暗い廊下を歩き、階段を降りる。 もう三日目か、と滝田は思う。こんなに遅くまで残っているのは、最近ではないことだ。 ベッドルームに入ると、青年はもう慣れて自分からベッドにのぼる。 青年に眠剤を与えてから研究室に行く。そしてまたしてもモニターとにらめっこを始める。待っている間論文なり学術誌なり、何か読んでいればいいのだろうがそんな気分にはなれない。 一時間が経過する頃、画面に砂嵐が現れた。いつもより早い。白黒の点の集合が像を結び始める。 「おーい、タキタ!」 凍った砂漠のような大地を、何人もの人間達が歩いている。宇宙服に身を包んだ彼らの様子を見ても、これが未来に必ず起こるのだという実感がわかない。どこか映画のようで非現実的だ。それは月面という、滝田の日常生活からかけ離れたものであるせいだろうか。 「おーい、タキタ! どこだあっ!」 青年は彼らの無線通信を傍受できるのだろうか。真空に近い空間でそんな大声を出しても当然伝わらない。信号がタキタの耳に届いていることを想定しての行為だろう。 画面が動き始めた。だんだんとその人物達に近寄っていく。青年は彼らの中に遠慮なく入っていった。 「だめだ。確かにこっちの方に行ったのか」 「ああ。間違いない」 ヘルメット同士が顔を向き合わせる。 「もう酸素残量が少ない。二次酸素パックのエアと合わせても、もう切れているかもしれない」 なんてことだ。Aチームのタキタは、今日青年の夢の中で死んでしまうのか。滝田は自分とは全く関係がない人物であることを祈った。 「峡谷の方に行ってみよう。そこに落ちたとしか考えられない」 先頭の人物が進行方向をやや左の方へと変える。 「おおい、タキター!」 「タキター、いたら返事をしてくれ!」 タキタを呼ぶ、複数人の声。ただひたすら歩き続ける。三分、六分…… やけに時間がかかる。その峡谷というのは遠いのか。滝田の手の平に汗が浮かぶ。早くしてくれないと青年の夢が終わってしまう。 八分が経過。願いむなしく、画面が点滅を始めた。 「おーい……タ……」 声が途切れる。画面が暗くなっていく。そして夢のストーリーは尻切れとんぼのまま、消えた。 「ああっ」 滝田は頭をかかえこんだ。今日もまたおあずけか。まるでいいところで終わってしまうドラマのようだ。誰か、滝田にとって大事な人かもしれないのに。その人物が重大な危機に直面しているのに。 青年はこれまで、一度の眠りで一回の夢しか見なかった。いや、雨の夢を入れれば二回か。するとまだチャンスはある。 いずれにせよ、青年が起きるまでは滝田も観察を続けるのだ。このまま待つことにしよう。 立ち上がり、脳波を記録しているPCを見る。だんだんと深い眠りへと戻っていく。 真っ暗な夢見用モニターをいらいらとながめ、箱から煙草を抜き出して火をつける。久しぶりに靴を踏み鳴らしていることに気づいた。 一連の物語を形作る青年の夢。それはまさに連続もののドラマのようだ。「続く」という文字が出そうな雰囲気で消えていく。こんなことは普通の人間ではあり得ない。青年は今後も月面を漂い続けるのだろうか。 十分もたつと、緊張感を維持するのが難しくなってきた。うとうとしてきた。頭をふり、立ち上がって脳波を見る。デルタ波が出ている。熟睡状態だ。 椅子に座り、背を丸め、両手で膝をしっかりとつかんでモニターをにらむ。 まぶたが自然と降りてきて、両腕の力がぬけてきた。
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