四
論文の字面を漫然と追う目を、滝田は壁の時計に向けた。夜の九時を十分ほど回ったところだ。 遅い。何をやっている。 再び視線を紙に戻す。読んでなんかいない。ただながめているだけだ。滝田は一日中落ち着かなかった。今朝起こった事件のためだ。まさかと思ったが、倉田志郎の予告が的中したのだ。いきなり横から飛び出してきた車に、もう少しで衝突するところだった。 青年と約束していた時間は九時だ。だがまだ来ない。 ドアをノックする音にはっとして顔を上げた。 「どうぞ」 しかし現れたのは井上だった。がっくりと肩をおとす。 「先生、昨日の人が来てますよ」 再び息をのんで身を乗り出す。 「入ってもらって」 立ち去ろうとする井上に声をかける。 「宮田君は? もう帰ったの?」 「ええ。僕も帰ります。んじゃお先に」 ひどい音をたててドアを閉めた。 滝田は胸の前で両手の指を組み合わせる。井上は最初から当てにしていなかったが、宮田も帰ったとなると他の研究室から応援を呼ぶか、滝田一人でやるか、どっちかだ。 再びノックの音がして、穴があくほどドアを見つめた。 「どうぞ」 倉田志郎がにこやかな表情で現れた。 「こんばんは」 「ああ、こんばんは」 慌てて職業的な笑顔を作る。 「どうでした? 僕の予知夢は当たりましたか」 「ん? ああ、驚いたよ。まさか本当に起こるとは思っていなかったから」 「そうですか。良かった。少しは信じてくれる気になりましたよね」 青年はかぶっていた帽子をとった。滝田が指示した通り、丸坊主になっていた。 「それじゃあ、行こうか」 青年の脇をすりぬける時、かすかにいい匂いがした。近頃の若者は男でも香水をつけるのか。あらためて自分が年寄りになってしまったことを感じる。 滝田が先に立って階段を降りていく。歩きながら考える。自分は単なる興味から倉田志郎の夢を見ようとしているのだろうか。青年がタキタという人物に何かしようとしたら、そのアバターを殺したいのではないか。 そんなことを考えているうちに、被験者を寝せるベッドルームに着いた。分厚い扉を開け、先に入れと手で示す。青年は臆することなく堂々と入っていった。 「へえ。ここで父の夢を観察したんですか」 滝田は答えずベッドの脇に立った。 「仰向けになって。服はそのままでいい」 滝田は言われた通り横になった青年にヘルメットをかぶせた。 「すぐに眠れそうかい?」 「いえ、いつも眠くなるのが三時くらいなんですよ」 錠剤が入ったシートの銀紙を破る。ポットから水をコップに注ぐ。 「睡眠導入剤だ。飲んで」
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