三
応接室に入っていくと、水色と白のチェック柄のTシャツにジーパンというラフな格好の若者がソファから立ち上がって会釈をした。 「こんにちは」ととりあえず挨拶する。 若者は滝田の顔を見ると満面の笑顔になった。 「あ、こんにちは」 「あの、面会の場合はアポを取ってくれないと困るんですけど」 「先生、僕のこと覚えていませんか」 奇妙なことを言う青年に滝田は不信感を抱いた。見覚えのない顔だ。 「僕、倉田志郎といいます。倉田恭介の息子です」 あっ、と驚いた。そうだ。倉田という名で若い男といえば、倉田の息子がいたではないか。突然の再会にびっくりすると同時にうれしくなった。 「弟さん? それともお兄さん?」 「弟の方です」 すると、USBメモリを渡した子だ。 「いやあ、大きくなったなあ。まあまあ、とにかく座って」 青年が座るのに続けて滝田も腰掛けた。 「久しぶりだなあ。今、何やってるの?」 「大学生です。先生はお元気ですか」 「ああ、元気でやってるよ。今日は何の用?」 「まずはお礼を言いたくて。先生から頂いたUSB、もらった当時は何なのかさえ分かりませんでした。高校生になった時に父がパソコンを買って、中身を見て、難しい用語は分からなかったのですが、父がどういう状態だったのかなんとなく知ることができました。有難うございます」 「だったら、今はもっとよく分かるだろう?」 「はい、検索して調べましたから」 記録に余計なことを書かなかっただろうか、と滝田は心配になった。大丈夫だ。夢の観察はあくまで病気の原因を探るためということになっていたはずだ。 「どうしてここが分かったの?」 「滝田国際睡眠障害専門病院は見つかりませんでした。滝田研究所のホームページを見て来ました」 サイトには滝田の名前も顔写真も載せているから、渡した名刺がまだあれば分かるだろう。 「お父さんは今どうしてる?」 「父は二年前にクモ膜下出血で亡くなりました」 「そうか。お気の毒に……」 「僕は秘密を守りました。だから父は何も知らずに死にました。その方が幸せだったと思います」 「そうだね。お父さんは自分に起こった事を覚えていないようだったからね」 滝田は倉田氏を見殺しにするつもりだった。だが美智子の機転によって助かった。しかし結局は死去してしまった。まああの悪夢のような状態で亡くなるよりはマシだろう。 「先生の考えはおもしろいですね。前世の記憶をたどって過去にさかのぼったなんて。僕、すごく興味を持ちました」 「ああ、あくまで推測だけどね。しかしあの睡眠障害はなんだったのか、前世に戻るとしても、どうしてそんなことができたのか、全く分からないままなんだ」 「僕も結論を出すまでに時間がかかりました。僕達の症状はいったい何なのか。最近になってようやく僕なりの考えがまとまってきたんです」 僕達? 滝田は聞きとがめた。この青年は何を言っているのだ? 「実は僕、毎日の睡眠時間が二時間くらいなんですよ。中学の時からずっとです」 あまりにもさらっと言ったものだから、滝田は目をむいた。青年は笑顔のままだ。日に焼けたその快活な表情は、とても病気には見えない。 「君は、不眠症なのか」 「そうなんです。でも、先生。僕は大丈夫なんです。昼間居眠りをするわけでもないし、どこか体が悪いわけでもないんです。それでも母は心配して、あっちこっちの病院に連れていきました。でも、どこでも同じです。薬をもらって、それでおしまいです。生活にも支障はありません。結局母はあきらめました」 久しぶりの再会の喜びが、早くも不吉な疑念へと変わり始めた。父親の睡眠障害は複雑怪奇なものだったが、息子の症状も変わっている。睡眠時間が二時間だって? それでどこにも異常がないって? 中学から、大学まで。 もっとも、八時間は寝るべきなどというのは、人が勝手に決めこんだことであって、短い時間の眠りでも平気な人間は存在する。ナポレオンが毎日三時間しか寝なかったのは有名だし、エジソンも短眠者だった。もっとも、ナポレオンは居眠りの天才であったとも言われているが。 「記録を読むまで、僕は自分の不思議な病気がなんなのか分からなかったんですよ。この症状が始まってから時々見るようになった夢のことも」 どうやら不吉な予感が当たりそうだ。この青年も、父親のような夢を見るというのか。 彼は少しも不安な様子を見せず、いきいきとした調子で続ける。 「僕は、父とは反対に未来が見えるんです。少し先のことから、遠い将来のことまで。中学の頃は本当に時々でしたが、今は確実に見ることができます。見る、というより、行くといった方がいいかもしれません」 「つまり君は、予知夢を見るというんだね。君はそれが本物だって証明できるかい?」 「証明、というとちょっと難しいんですけど、よく当たるんですよ。遠い未来は実証できませんけど、近い将来ならまず当たります。先生は明日危ない目に会いますよ。先生がびっくりした顔をして急ブレーキを踏むのを、昨日夢で見ちゃったんですよ。僕は横にいました。もう少しで大事故ですよ」 まさか、と滝田は思う。父親が特殊な能力を持っていたからといってその息子にもそんな力があるなんて。作り話ではないのか? 「で、君の考えはどうなの? お父さんや君の能力は、何だと思うんだい?」 「タイムトラベルの一種です」 「超能力っていうこと?」 「そうです。僕は父とは違って、睡眠時間は短いものの普通に生活することができます。僕らの力は夢が大きな役割を果たします。だから、発現できるようになる時に、代償として眠りに異常が起こるんだと思います」 それは滝田もこの十年間考えていたことだった。滝田は青年の意見をもっと聞きたいと思った。 「お父さんの睡眠異常は何だったんだろう?」 「父は無意識に試行錯誤したんだと思います。自分の望む最適な状態は何なのかを。そしてクライン・レビン症候群にたどりつきました。いつでも好きな時に夢の中で出現できますからね」 「じゃあ、レム睡眠行動障害は?」 「眠りっぱなしだと、外界との意思疎通が遮断されてしまいます。夢の中に閉じ込められてしまうんです。そこでコミュニケーションの手段としてレム睡眠行動障害という形を取ったんです」 「それはお父さんが意識して望んだものではなく、あくまでも潜在意識下での願望なんだね?」 「そうです」 滝田も同じように考えていた。ただし、滝田の見解が仮説であるのに対し、青年の言い方は確信に満ちている点が違うが。 「じゃあ君の不眠症は?」 「僕は、何をするにも集中力を維持するのが、二時間が限界なんです。予知夢を見るのも同じです。人は眠ってから一番深いノンレム睡眠に達して、その後眠りの浅いレム睡眠になるんですよね。かかる時間は九十分。でも個人差がありますよね。僕の場合は二時間なんです。普通ならこの周期を繰り返すんでしょうけど、僕はそれ以上注力することができませんから、目が覚めてしまうんです」 「夢を見るのに集中力が必要なのか。それは興味深い話だね。しかしそんな能力のために君やお父さんが睡眠障害を抱えなければならないなんて、なんだかかわいそうだなあ」 「とんでもない。これは素晴らしいことなんですよ」 素晴らしいだと? 歴史を変えてしまうような恐ろしい力が輝かしいものであるはずがない。 「私はね、エジプト人はお父さんの夢が作り出した架空の存在であるかのように思っていた。だがあのエジプト人は実在した本物だったのかもしれない。だとしたら私は人殺しをしてしまったことになる。それでこの十年悩み続けてきたんだよ」 「本人ではないと思いますよ。だって高貴な人物なんでしょう? そんな人が記憶喪失になったからといって砂漠をさまよっているでしょうか。僕には不自然に思えます」 滝田にはなぐさめのようにしか聞こえない。 「じゃあ君は何だと思うんだい?」 「アバターのようなものだと思います。ほら、オンラインゲームで髪型や顔や服装を自分好みにカスタマイズした分身を作るでしょう? 同じように夢の世界の中で自由に動けるアバターが必要なんです。父はその分身にまず御見葉蔵の記憶を植え付け、インド人の記憶を植え付け、エジプト人の記憶を植え付けていったんです」 「どうしてそんなに確信を持って言えるんだい?」 「僕がそう感じるからです。夢の中で行動する人物は僕自身だという気がしません。あくまでも複製なんです」 「本物とは別に偽者がいたっていうこと?」 「そうです。おそらくエジプト人だけでなく、御見葉蔵も、父自身も」 「でもエジプト人もインド人も君のお父さんとは別人だろう?」 「御見葉蔵は前世の自分、インド人も前世の自分、エジプト人も前世の自分、全部自分であることに変わりはないでしょう?」 なんだかうまく言いくるめられた気分だ。察しはついたが、一応聞いてみる。 「なるほど。君の意見は分かった。で、もう一度聞くが、今日は何の用だい?」 「先生にお願いがあるんです。夢見装置で僕の夢を観察してほしいんです」 冗談じゃない。倉田氏でもうこりごりだ。その息子をまた興味本位に実験台にするなんて。 「それは困るよ。夢見装置は君の助けにはならないと思うんだ」 「いえ、助けるとか、そういうことではありません。僕は、最近はかなり先の未来の夢ばかり見ます。それは、人類が月に進出した時代なんです。僕はある人物の名前を耳にしました」 青年の瞳が滝田を直視する。 「本当のことを言うと、僕は先生に会いに来るつもりはなかったんです。今頃になって来たのは、先生ならその人が誰なのか分かるかもしれないと思ったからなんです」 「もったいぶらずに言ってくれないか。それはどんな人物なんだい? 私に関係あるのか」 「タキタという人なんです」 なんだと? 「下の名前は?」 「分かりません。月面の日本人基地で、会話の中にその名が出てきただけなんです。詳しいことは分からないんです」 「しかし、タキタという姓は別に珍しくもないだろう」 「そうです。ですからここに来るべきかどうか迷いました。だから、ぜひ先生自身に確かめてほしいんです。そのためには僕を夢見装置につなぐしかありません」 滝田は苦笑した。 「その人物を見られたとしても、未来の話なんだろう? 私の家族か親戚だとしても、判別できるかどうか……」 「分からないかもしれません。しかし分かるかもしれません。僕は先生に関係あるという気がしてならないんです。これはもう僕の第六感を信じてもらうしかありません」 「それも超能力なのかい?」 「いえ、そういうわけではありませんが」 青年の話を信じるべきかどうか。いずれにせよ装置を使わなければ確かめられない。 「そうかい。それじゃあとにかく、明日また来てくれ。一度だけなら夢見装置につないであげてもいい。あれはおもちゃじゃないんだ」
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