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作品名:眠れ、そして夢見よ 作者:時 貴斗

第40回   スフィンクスの頭 五
   五

 滝田は倉田氏の病室に入っていった。前に会った倉田恭介の妻、倉田芳子とその二人の息子がいた。といっても兄の方は夢の中で見ただけだが。
「まあまあ先生、御無沙汰しております」
「どうも、今日は」
「主人の診察ですか?」
「いえ、その後どうしているかと思いまして、ご様子を拝見させていただくために来ました」
「お父さん、こちら滝田、ええとなんとか病院の」
「滝田国際睡眠障害専門病院の滝田です」
 滝田は倉田氏を見て驚いた。この中肉中背のおっさんが、あのミイラのような倉田氏と同一人物とは思えない。
「倉田さん、今日は」
「ああ、今日は」
 ぼんやりしたやや低い声が発せられる。
「私が誰だか分かりますか?」
「いいえ。でも、滝田先生ですよね」
 その目はまるで滝田の後ろにある何かを見つめているようだった。
「では、私の声を覚えていますか?」
「いいえ」
「私は倉田さんの睡眠障害について検査をしていました。その時に見た夢は覚えていますか?」
「いいえ」
 だとすると聞くことは何もない。滝田は安心した。
「お父さん、先生のおかげで目が覚めたのよ。体が治ったのよ」
「いえ、治療をしたのはこちらの病院ですから」
 そうだ。滝田は結局何もしていない。
「先生、それでね、主人の会社、なんとか持ち直しそうなんですよ。これでミケにもご飯を食べさせられます。あ、ミケというのは野良猫でしてね。いやあ医療保険に入っていて良かったですよ。入院とかいろいろかかりますでしょ」
 滝田はなんとなく、一刻も早くここを立ち去りたくなった。倉田氏が恐ろしい事を言い出しそうな不安にかられた。このおばちゃんもやかましいし。
「あ、私は高梨先生に呼ばれて来たものですから。ちょっとお顔を拝見させていただきたくて立ち寄らせてもらいました。今日はこの辺で失礼します。いやあ、健康そうでなによりです」
 足早に病室を立ち去る。
 高梨医師からの報告では、あの後倉田氏は小暮総合病院で目覚めたという。最初は二十時間程寝ていたが、一回の睡眠時間も徐々に短くなって、消灯、起床時間に合わせて眠れるようになった。起きた直後どんな夢を見ていたかの聞き取りは欠かさなかった。高校時代の同級生に会っていた、空を飛んでいた、熊に追いかけられていた、等ありふれた内容だ。
 滝田はエレベーターに乗り、受付で聞いた通り副院長室がある五階のボタンを押した。
 古代エジプト人になったり、滝田睡眠研究所に現れたり、小暮総合病院の中を歩き回ったりといったことはなかったそうだ。
 廊下に出て高梨医師の部屋に向かう。
 その後レム睡眠行動障害も起っていないという。
「副院長室」と書かれたプレートがあるドアをノックする。
「どうぞ」という声が聞こえたので「失礼します」と言いながら入っていく。
「お待ちしていました。滝田先生」
 高梨医師は快活な笑みを浮かべ、デスクの椅子から立ち上がった。
 彼には今もいい印象を持っていない。
 手で指し示されたソファに座ると、テーブルを挟んだ向かい側に高梨も腰かけた。
「これから、どうなさるのですか」と滝田は聞いた。
「どうもしやしません。治ったら退院させて、おしまいです」
 この男は何の責任も感じていないのだろうか。滝田は腹がたってきた。
「学会で発表しますか? 研究の成果はお渡ししますか?」
 鞄の中にある三テラバイトのUSBメモリには、倉田氏の夢から抜粋した映像と、その分析と考察が入っている。倉田氏に関する資料のうちのかなり重要な部分だ。倉田氏の顔はモザイク処理し、文書にはK氏と書いてある。音声のうち「倉田」の部分は「ピー」という自主規制音に変えてある。高梨に預けるかどうかは今日の話し合いで決めるつもりだった。
「今日ご足労願ったのは他でありません。その件ですが、私どもの方で慎重に検討を重ねた結果、公表はしないと結論付けました」
「ほう、そりゃまたどうしてですか?」
「古代エジプト人になってスフィンクスの頭を壊そうとしたなんて、そんなのはただの夢かもしれませんよ。実在したという根拠がありません」
「しかし、倉田さん自身として我々の研究室に現れたのはどう説明します? 彼はあの部屋を見たことがないんです。証拠の映像も残っているんですよ?」
「起こったのはすべてオカルト現象でしょう。合理的に解釈することなんて所詮無理なんです。しかし、寄付金は約束通り提供させていただきますよ」
 最初に訪ねてきた時と、言っていることが違っていた。医学や科学の世界に一石を投じるかもしれない。そう話していたのではなかったか。
「それは結構です。結局私達は何の役にも立っていませんから」
「とんでもない。先生方が睡眠障害の元凶である古代エジプト人を殺してくれたから、倉田は治ったんじゃないですか」
 頭に血が上った。
「いりませんよ、そんなの」滝田は自分の口調がきつくなるのを感じた。「あなたは倉田さんが重態なのに夢の解明を優先させた。自分が名声を得たいがために。責任を感じないんですか」
 高梨は急に能面のような顔になった。
「私達はわらにもすがる気持ちだったんです。倉田の夢に、病気の本当の原因が隠されているかもしれないと考えたんです」
「私は後悔しているんです。倉田さんをまるで、実験動物みたいにして」
「先生に罪はありません。先生は昏睡状態の患者と夢見装置を通してコミュニケーションを取ろうとしたんです。クランケとの会話は重要です。先生は決して、倉田を実験台にしたのではありません」
 そんな大それたことではない。滝田にしたって、最初は興味本位ではなかったか。
 滝田は踏ん切りをつけられずにいた迷いに対して決断した。
「倉田さんの資料はすべて破棄します」
「そんな、もったいない」
「こんなものが公になったら、倉田さんはどんな目にあうか分かったもんじゃありません」
 モザイクをかけたところでやっぱり安心はできない。
「先生、余計なお世話かもしれませんが、くれぐれもこの件は口外なさらないようお願いします」
 高梨との取引のことだろう。
 高梨は胸元に手を突っ込み、分厚い茶封筒を取り出した。それをうやうやしく滝田に差し出す。
「では謝礼だけでも」
「いらないと言ってるでしょうが!」
 手を振って払い落とす。高梨は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
 滝田は憤って立ち上がった。
「先生、夢と睡眠障害の関係について調査をされているのでしたよね。その研究は、深めて下さい。睡眠異常に悩む人が減ることを祈っています」
 滝田は返事もせず、副院長室を飛び出した。
 足が勝手に倉田氏の部屋に向かう。何かをしなければいけないような気がした。全部彼にぶちまけてやろうか。
 すべては終わった。これからは普通の生活に戻るのだ。かわいそうな犬や猫の頭に針を刺し、モニターの波形に一喜一憂し、美智子とくだらないことで口論するのだ。そうだ。それがいい。
 倉田氏の病室の前に戻ると子供が廊下の窓から外をながめていた。弟の方だ。少年は滝田を見ると不安そうな顔をした。
 滝田はしゃがんで少年に微笑みかけた。
「退屈かい?」
「うん、つまんない」
 滝田は迷った。手に持った黒い鞄を見つめる。資料を取っておくべきか捨てるべきかについてはずいぶん悩んだ。そして破棄すると決断した。だが本当にそれでいいのだろうか。バッグを開き、USBメモリを取り出した。
「これを」言葉がつまる。こんなことをして大丈夫なのだろうか。「これを、君にあげよう」
「なあに?」
「これはね、お父さんの病気について記録したものなんだ」
「僕にくれるの?」
「でもね、他の人に言っちゃだめだ。お母さんにも言っちゃだめだ。それくらい重要なものなんだ。約束できるなら、君にあげる」
 少年はほほに人差し指をくっつけて首をかしげた。
「おじさんは、これを君に託したいんだ。託すって、分かるかい? 大事なものを人に預けることだ」
 そうだ。この少年なら適任のような気がする。彼がこの内容を理解できるほどに成長した時、父親に起こった事実を知るだろう。後は、どうするかは彼次第だ。少年はなおも考え込んでいた。
「うん、いいよ。僕が預かってあげる」
「そうか。誰にも内緒だよ。君とおじさんだけの秘密だよ」
「男の約束だね」
「そうだ。そうだよ。君は良い子だな」
 少年がUSBメモリを受け取るのを、複雑な思いで見ていた。


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