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作品名:眠れ、そして夢見よ 作者:時 貴斗

第36回   スフィンクスの頭 一
   スフィンクスの頭


   一

 滝田は立ったまま、長い呼吸を繰り返す倉田氏の顔を見つめていた。どうしていいか迷うばかりで、何もできない自分がはがゆかった。名無しのエジプト人が歴史を変えようとしていることも、倉田氏の病状が悪化していくことも、自分にはどうしようもない。
「先生、来て下さい」
 スピーカーユニットから青年の声が伝わってくる。
「どうした」
「倉田さんが夢の中に現れました。先生を呼んでいます」
 倉田氏の顔を見る。心なしか笑みを浮かべているように見えた。
 階段を駆け上がりながら妙なことに気がついた。「先生を呼んでいます」だって? 自分のほほをつねってみる。痛みは感じるようだ。また夢だったらたまらない。
「僕を呼んだって? どうやって」
 ドアを開けるなりかみつくように言った。
「電話で話してるんですよ」
 滝田は受話器を握っている青年に足早に歩み寄っていった。振り向いてモニターを見ると、どこだか分からないが、夕暮れ時の屋外が映っていた。すべり台がある。すると公園だ。正面にはうさぎの頭の形をした石像と、ライオンの頭の形をした石像が並んでいる。人が座れそうなくらいの大きさだ。
 腕時計を見る。五時十七分。するとおそらく過去でも未来でもなく現在だ。
 映像は下を向いて、パジャマ姿の胸から下を映した。ベンチにこしかけている。ひざの上の四角く平べったい電話機から、螺旋状のコードがのび、画面の左端で消えている。
 そうか。あれでこの研究室に電話をかけたのか。
 滝田はおかしな点に気づいた。普通は本体からモジュラーケーブルが出ているはずだが、それがどこにも見当たらない。
「常盤君は?」
「仮眠室で寝ています。何でも昨日一睡もできなかったんだとか」
 まったく。何をやってるんだ、こんな時に。青年から受話器をひったくる。
「今晩は、滝田さん」
 やや低い倉田氏の声は、それでも、この間聞いたのと比べていくぶん穏やかな感じがした。
「倉田さん、どうしたんですか。この間の様子からすると、もうお話しできないのかと思いましたよ」
「私は、自分の意思で好きなように夢を見られるわけではありません。今日はたまたま私自身として現れることができただけですよ」
「それでも私はうれしい。倉田さんの方から私に連絡をとってくれるなんて」
「たぶん、お別れを言いたかったんだと思います」
 倉田氏は意外なことを言った。
「私は、最近は目覚める回数が少なくなっているように感じます。たぶんそれ以外の時間は、古代エジプト人になっているんだと思います」
「倉田さんは、自分がエジプト人になっていることを感じるんですか」
 少しの間、沈黙があった。
「いいえ。いや、はいかな。時々ピラミッドの姿が見えることがあります」
 実に驚くべき告白だった。倉田氏であるのに古代エジプト人としての風景が見えるのだろうか。
「どんなふうに見えますか。そのピラミッドは、てっぺんの方が欠けていませんか」
「ピラミッドとは何だ」
 急に声質が変わった。滝田は目を、飛び出さんばかりにひんむいた。
 すべり台と動物の頭の像が半透明になって、それと重なって青空とピラミッドが映っていた。
 どういうことだ。倉田氏の意識と古代エジプト人の意識が入り混じっているのか?
「ペルエムウスのことです。というより、あなたは誰です」
「何度も言うようだが私は自分が誰なのかを知らない。あなた達が私をクラタと呼びたいのならそう呼べばいいだろう」
 頭が混乱する。しかし、いいチャンスだ。この間言いそびれたことを言うのだ。
「スフィンクスの頭を壊すなんて、そんなことはやめて下さい。あなたは世界的な遺産を破壊しようとしているんですよ。それであなたは平気なんですか」
「なるほど、彼はスフィンクスの頭を破壊しようとしているんですね」
 声が元に戻った。画面も公園の風景に戻っていた。
「私はたぶん、どんどん古代エジプト人になっていくんだと思います」
 画面が点滅した。
「もう倉田恭介になることもないでしょう」
 画面がフェード・アウトしていった。最後に小さく、「さようなら」と言ったように聞こえた。
 滝田は放心していた。青年も、滝田も、何も言わなかった。しばらくして滝田は口を開く。
「どこだろうね、今の場所」
「さあ、どこかの公園みたいでしたが」
 青年の目と口が、急に丸くなった。
「あ、この場所、僕知ってます」
 青年が駆け出したので、滝田も走った。階段を駆け下りていく。玄関から飛び出した。太陽は沈みかけ、夜が訪れようとしていた。
「おい、どこに行くんだ」
「こっちです」
 通りをしばらく走った。右に折れて、細い道に入ると、両側に植込みが並んでいた。少し行くと、植込みが切れて小さな公園があった。
「この間、常盤さんとここに来て話したんです」
「え? 君達そんな関係だったの?」
「違いますよ」
 青年が歩いていく先にベンチがあった。滝田が長椅子の上に手をおくと、今まで誰かが座っていたかのような温もりがあった。


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