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作品名:眠れ、そして夢見よ 作者:時 貴斗

第35回   ピラミッドとエジプト人 六
   六

「あなたはなぜペルエムウス造りに協力しているんですか」
 滝田はマイクに向かって言った。
「私は自分の名前も知らない。自分が何者かも分からない。どうやらこれは治りそうもない。だからせめて、私がここに存在したという痕跡を残したいのだ」
 みぞおちに冷たいものが流れた。
「いいものを見せてやろう」
 ピラミッドに沿って歩いていく。さっきまで遠くから眺めていたのに、また瞬間移動したのだろうか。
「おや、こんな所に見えない障壁がある」
「部屋の壁につきあたりました」
 スピーカーから青年の緊張した声が聞こえる。
 しばらく止まっていたが、なぜか景色が再び動き出した。
「倉田さんが足踏みを始めました」
 なるほど。倉田氏は狭い室内で広大な大地を歩く方法を学んだようだ。
 名無しのエジプト人は角を曲がった。そしてまた積まれた石に沿って歩いていく。
 風景が上を向いた。少し上がったところに、小さな入り口が開いている。彼は自分の身長の半分程もある石をよじのぼっていく。
「この下に玄室がある。案内しよう」
 地下への階段を降りていく。だんだん日の光が差し込まなくなっていく。
「暗くてよく見えないな」
 彼の腕が前方に伸びた。次の瞬間、その手にはたいまつが握られていた。まるで手品のように。
「これでスパナの謎も解明されたな」
 滝田はあごをなでた。
「モニターを壊した時のことですか?」と美智子が問う。
「そうだ。この部屋にスパナなんかない」
 階段を降りきると、平らな通路になっていた。しばらく行くと広めの部屋に出た。壁に据え付けられた数本のたいまつに火を移していく。
 画面が一瞬暗くなった。いけない。夢が終わる。
「見たまえ、これを」
 石で囲まれた部屋には、王の前で書記が何か記録をとっているといったような、簡単な壁画が描かれている。床には数体の人形のような像が無造作にころがっている。
「これが王の墓か? なんというみすぼらしさだ。私はここにささやかな彩りを加えたいのだ」
「どうするつもりです?」
「あなた達がスフィンクスと呼んでいるもの、あれは大変見事だな」
 嫌な予感がする。
「私はあの像から一部を取り、この玄室に添えたいのだ」
「やめて下さい。そんなこと」
 滝田は悲鳴をあげるように言った。
「なぜだ。素晴らしい考えだと思わないかね。あの偉大な巨像の威光を借り、この粗末な玄室を輝かせるのだ」
「そんなことをして何になるんです。何が輝くんです」
「スフィンクスの頭部の奥、中心部から石の一片をとり、この壁のどこかに埋め込むのだ。私にできることといったらその程度のことだ」
「どうやって取り出すんです。スフィンクスの頭を壊すんですか。あなた一人で」
「石切り場から切り出すのと同じ要領でやればよい。表面に溝をほり、くさびを何本も打ち込むのだ。できないことはなかろう。労働者仲間に話したら、賛同してくれる者が五人もいた」
「やめてください。歴史が変わってしまう」
 血の気が引いた。
「なんのことだ。私には分からないが」
 いっそ「私達は未来人です」と言おうかと考えたが、思いとどまった。
「先生、たぶん大丈夫です」美智子がささやく。「あんな大きな頭部の中心まで掘り進むなんて、できっこありません。せいぜい頭頂部を壊すのが関の山でしょう。その時点で彼は捕まります。それに、スフィンクスは何度も修復作業が行われています」
「そのせいで何人もの人間が処刑されてもいいのか」
 画面が二度瞬いた。
「私は自分がどこの誰かも分からない。私は確かにこの世界に存在したという証しがほしいのだ。私の決心は……変わら……ない……」
 スピーカーから重い音がするのと、画面が消えるのとが、ほぼ同時だった。窓に駆け寄り下を見ると、前にレム睡眠行動障害になった時と同様、倉田氏は倒れていた。
「もしも彼が死んだら」滝田は独り言のようにつぶやいた。「エジプト人も消えてなくなるかもしれない」


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