六
「あなたはなぜペルエムウス造りに協力しているんですか」 滝田はマイクに向かって言った。 「私は自分の名前も知らない。自分が何者かも分からない。どうやらこれは治りそうもない。だからせめて、私がここに存在したという痕跡を残したいのだ」 みぞおちに冷たいものが流れた。 「いいものを見せてやろう」 ピラミッドに沿って歩いていく。さっきまで遠くから眺めていたのに、また瞬間移動したのだろうか。 「おや、こんな所に見えない障壁がある」 「部屋の壁につきあたりました」 スピーカーから青年の緊張した声が聞こえる。 しばらく止まっていたが、なぜか景色が再び動き出した。 「倉田さんが足踏みを始めました」 なるほど。倉田氏は狭い室内で広大な大地を歩く方法を学んだようだ。 名無しのエジプト人は角を曲がった。そしてまた積まれた石に沿って歩いていく。 風景が上を向いた。少し上がったところに、小さな入り口が開いている。彼は自分の身長の半分程もある石をよじのぼっていく。 「この下に玄室がある。案内しよう」 地下への階段を降りていく。だんだん日の光が差し込まなくなっていく。 「暗くてよく見えないな」 彼の腕が前方に伸びた。次の瞬間、その手にはたいまつが握られていた。まるで手品のように。 「これでスパナの謎も解明されたな」 滝田はあごをなでた。 「モニターを壊した時のことですか?」と美智子が問う。 「そうだ。この部屋にスパナなんかない」 階段を降りきると、平らな通路になっていた。しばらく行くと広めの部屋に出た。壁に据え付けられた数本のたいまつに火を移していく。 画面が一瞬暗くなった。いけない。夢が終わる。 「見たまえ、これを」 石で囲まれた部屋には、王の前で書記が何か記録をとっているといったような、簡単な壁画が描かれている。床には数体の人形のような像が無造作にころがっている。 「これが王の墓か? なんというみすぼらしさだ。私はここにささやかな彩りを加えたいのだ」 「どうするつもりです?」 「あなた達がスフィンクスと呼んでいるもの、あれは大変見事だな」 嫌な予感がする。 「私はあの像から一部を取り、この玄室に添えたいのだ」 「やめて下さい。そんなこと」 滝田は悲鳴をあげるように言った。 「なぜだ。素晴らしい考えだと思わないかね。あの偉大な巨像の威光を借り、この粗末な玄室を輝かせるのだ」 「そんなことをして何になるんです。何が輝くんです」 「スフィンクスの頭部の奥、中心部から石の一片をとり、この壁のどこかに埋め込むのだ。私にできることといったらその程度のことだ」 「どうやって取り出すんです。スフィンクスの頭を壊すんですか。あなた一人で」 「石切り場から切り出すのと同じ要領でやればよい。表面に溝をほり、くさびを何本も打ち込むのだ。できないことはなかろう。労働者仲間に話したら、賛同してくれる者が五人もいた」 「やめてください。歴史が変わってしまう」 血の気が引いた。 「なんのことだ。私には分からないが」 いっそ「私達は未来人です」と言おうかと考えたが、思いとどまった。 「先生、たぶん大丈夫です」美智子がささやく。「あんな大きな頭部の中心まで掘り進むなんて、できっこありません。せいぜい頭頂部を壊すのが関の山でしょう。その時点で彼は捕まります。それに、スフィンクスは何度も修復作業が行われています」 「そのせいで何人もの人間が処刑されてもいいのか」 画面が二度瞬いた。 「私は自分がどこの誰かも分からない。私は確かにこの世界に存在したという証しがほしいのだ。私の決心は……変わら……ない……」 スピーカーから重い音がするのと、画面が消えるのとが、ほぼ同時だった。窓に駆け寄り下を見ると、前にレム睡眠行動障害になった時と同様、倉田氏は倒れていた。 「もしも彼が死んだら」滝田は独り言のようにつぶやいた。「エジプト人も消えてなくなるかもしれない」
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