五
ひどいと思った。夢の謎が分かるまで、病院に戻さないつもりなのだろうか。滝田は一日中憤りがおさまらなかった。 その夜、倉田氏がまた夢を見た。 砂嵐が消えると、またあのピラミッドが映った。太陽が地平線の近くにある。すると夕方だろうか。その日の作業は終わったのか、人っ子一人いない。 「先生、レム睡眠行動障害です」 青年が叫んだ。 「えっ」 滝田よりも一足早く、美智子が窓辺へ駆け寄った。三人並んで下を見る。倉田氏が立ち上がっていた。 「僕行ってきます」青年がドアへと走る。「点滴を抜かないと」 「私も行くわ」 駆け出そうとする美智子の腕を滝田はつかんだ。 「残っててくれ。残って、僕に知恵を貸してくれ」 滝田はマイクを握り締め、スイッチを入れた。 「倉田さん、聞こえますか。倉田さん」 振り向いてモニターを見ると、雲が右に行ったり左に行ったりしている。倉田氏が真上を向いて滝田を探しているのだろう。スピーカーが部屋の上部にあるので、音声が頭上から出ていることは分かったようだ。 「またあなたか。声だけ聞こえて姿は見えない。いったい何者なんだね」 「私は研究者です。信じられないかもしれませんが」滝田は舌で上くちびるを湿した。「あなたは今私の研究所にいます。あなたは倉田さんという患者の夢の中にいて、今私は倉田さんに向かって話しかけています」 「先生、もっと筋道立てて話さないと分かりませんよ」 美智子がささやいた。 「何をわけのわからないことを。私はここにこうしている。あなたの言い方を聞いていると、私がそのクラタという人物の夢の中にいて、実在している者ではないかのようだ」 「いや、あなたは存在しているのです。今あなたがしゃべっているのと同じことを、倉田さんもしゃべっているんです。今あなたがしているのと同じ動作を、倉田さんもしているんです。倉田さんの耳に聞こえていることを、あなたも聞いているんです」 「つまり、そのクラタという人物を介して、あなたは私と話し合っていると、そう言いたいわけだな?」 「そうです。良かった。あなたは頭がいい方のようだ」 「ほめられてもあまりうれしくないぞ。私に何の用だ」 「倉田さん、でいいのかな」 スピーカーから青年の言葉が伝わってきた。 「またすぐそばから声が聞こえたぞ」 「その男も私の仲間です」 マイクを握る手に力が入る。 「お前も研究者か」 「え? ええ。よく分かりましたね」 「何の用だ」 「点滴を抜きにきました」 「テンテキ? それは何だ」 「それは、つまり、今あなたが腕からぶら下げている……」 「何もぶら下げていないではないか」 「藤崎君、いいから抜きなさい」と滝田は命令した。 「これが刺さったまま歩き回ると危ないんです。つまり、その、ごめんなさい!」 倉田氏の口から「痛いっ」という声が漏れる。 「なにをするのだ。何の魔法をかけたのだ」 「あなたの腕に見えない蛇がかみついていたのです。彼はそれを取り去ったのです」と滝田は言った。 美智子が顔をしかめて首をふる。 「テンテキだの蛇だの、何を言っているのだ。言っておくが私は夢の中にいるということを信じたわけではないぞ」 「いや、夢の中にはいないのです。あなたはそこに実在するのです。つまり、何と言ったらいいのかな」 滝田は困った。本当に何と言っていいのか分からなかった。 「私達は冥府の国、アアルにいるんです」 美智子が口をはさんだ。 おいおい、そんなことを言っていいのかと、滝田は思う。蛇がどうしたなどと言わなければよかった。 「おや、この間の女性だな? するとあなた達はオシリスの使いだとでも言うのかな?」 「そうじゃないですけど、似たようなものだわ。倉田さんという、夢を使って遠く離れた場所の人と交信する能力を持った魔法使いを通して、あなたと話しているのよ」 「研究所というのも、アアルにあるのかな? 何の研究をしているのだ」 彼は頭がいい。とてもごまかしきれないぞと、滝田は思う。しかし全てを正直に説明するには、時間がなさすぎる。こうしている間にも夢が終わってしまうかもしれないのだ。 「まあいい。あなた達が何者であるにしろ、私と話をしたいのだったら、つき合ってやろう」 よかった。滝田はほっとした。
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