三
所長室の扉がすごい勢いで開いて、美智子が駆け込んできた。 「先生、倉田さんが」 滝田は慌てて立ち上がった。美智子を追いかけながら尋ねる。 「倉田さんの方か。エジプト人の方か」 「倉田さんです。しかも、研究室にいます」 倉田氏か。そっちの方がよほど気になる。この間の夢ではやけくそになっているみたいだった。しかしどうした風の吹き回しだろう。もう研究室には現れないと言っていたはずだが。 部屋に飛び込むと、藤崎青年が青い顔をしてモニターの前に立ちすくんでいた。 青年を押しのけるようにして画面の前に割り込んだ。ディスプレイには倉田氏が映っていた。今までの夢と違う。これまでは倉田氏の視点で見ていたはずだ。滝田は隣のベッドルームで眠っている彼の姿しか見たことがない。それが今は、百歳の老人のようなあの顔が、しっかりと眼を開けて薄笑いを浮かべているのだった。彼は細長い紙を手に持って、こちらに突き出していた。その紙には墨で、「電話しろ」と大きくと書かれていた。 「人の夢をのぞくな」と言った時に滝田の電話番号を知ったのだから、彼の方からかけてくることもできるはずだが、覚えていないのだろう。 携帯で部屋の電話にかける。倉田氏がすかさず夢の中の受話器を取る。 「もしもし」 受話口の底から、怒気を含んだ声が聞こえてきた。 「私の夢をのぞくなと言ったはずだ」 「いえ、倉田さん、この間説明したように……」 「あなた達は自分の頭の中をのぞかれて平気なのか!」 「いえ、あの、その」 言葉がしどろもどろになる。いったい何と言い訳したらいいのだろう。 「倉田さん、これをやめたらあなたとの連絡方法がなくなってしまうんですよ」 「結構だ。早く私を病院に戻すべきだ」 そんなことまで知っていたのか。 「とんでもありません。病院で治せなかったからこそ、ここに来てもらったんじゃないですか」 「へえ、そうかい」 薄笑いが、ぞっとするような冷たい笑みに変わった。 「あなた達は馬鹿者だ」いつの間に持ったのか、握りしめたとんかちを滝田に突き出した。「大馬鹿者だ」 金槌を振り上げた。次の瞬間、目の前が真っ白になった。耳をつんざく音が響いた。反射的に顔の前に持ってきた腕に、モニターの破片が襲いかかってきた。 「先生、大変です。夢見装置が壊れました」 美智子が金切り声で叫んだ。 恐る恐る目を開けると、周りがやけに明るかった。なんだか様子が変だ。 滝田は呆然として辺りを眺め回した。砂の大地と真っ青な空が広がっている。なんだ、ここは。一体どうしたというのだ。振り向いた滝田は愕然とした。そこには巨大なピラミッドがそびえ立っていた。 そんな馬鹿な。研究室はどこに消え失せたのだ。美智子は、青年はどこに行ったのだ。 「まさか」滝田はつぶやく。「まさかそんなことが」 ピラミッドに近づいていく。てっぺんの方がまだ完成していないそれは、明らかにヒッドフト王のピラミッドだった。 「あなたが声の主か」 突然聞こえた声に驚いて振り返った。 「とうとうここまでたどり着いたか」 そこに立っていたのは、褐色の肌に首飾りをつけ、腰布を巻いた男だった。 「そんな馬鹿な」 顔に見覚えはないが、倉田氏の口から聞いたその野太い声から察するに、謎の古代エジプト人だろう。 画面に映る風景が割れて、粉々の断片となって飛び散った。そこに一瞬だけ、真っ黒な空洞が口をあけ、そして真っ白になった。美智子が夢見装置が壊れたと叫んだ。 その時の衝撃で滝田が夢の中に引きずり込まれたとでもいうのか。まさか。馬鹿げている。 「どうした。顔が真っ青だぞ」 だが他に考えようがなかった。それ以外にこの状況を説明する方法がみつからない。絶望が頭の中に広がっていくのを感じた。 ああ、なんということだ。倉田氏の眠りを観察し続けた結果が、これだというのか。この世界に出口はないのか。永遠に囚われ人となってしまうのか。 気がつくと、ひざまづき、砂をつかんでいた。 「悲しむことはない。さあ、立ちなさい」 エジプト人に促されて、ふらふらと立ち上がった。 「こちらへ」 そう言うと、彼は先に立って歩き始めた。ピラミッドに沿って歩いていく。 「どこに行くんですか」 「あなたが本当に見たかったものを見せてあげよう」 いったい何の事だ? エジプト人は角を曲がった。滝田もついていく。 地下への入り口にたどり着いた。 「この下だ」 狭い階段を降りていく。滝田はなんだかひどく、嫌な予感がした。滝田が本当に見たかったもの? その逆で、滝田が見たくなかったものではないか? そんな気がしてきた。 ついに玄室へとたどりついた。燭台がうっすらと照らすそこは、いかにも殺風景な場所だった。華やかな壁画や、副葬品といったものがあるわけでもなく、まるで地下牢のようだった。 「あれだ」 部屋の中央に石棺がある。エジプト人は足早に歩み寄り、いかにも重そうな石の蓋を、いとも簡単に横にずらした。重い音をたてて、蓋が地面に落ちた。 「さあ、見なさい」 のどが鳴った。恐る恐る近寄っていく。 「さあ」 恐々とのぞきこむ。 そこには男が横たわっていた。腰布だけを身につけたその人物の肌は褐色ではなく、青白かった。彼の顔を見た瞬間血の気がひいた。 それは、滝田の父親だった。父が、そこに納められていたのだ。眠っているのか、死んでいるのか分からない。 「あなたはこれを見たかったのだろう? あなたはこれを、知りたかったのだろう?」 エジプト人の声が部屋に反響する。 「嫌だ。嫌だ! 私はこんなものを見たくない」 「見るがいい」 横たわった父の目が、いきなり開いた。 「健三……宿題を……」父の口が震える。「高梨医師に……報告を……」
「嫌だ!」 滝田はふとんをはねのけた。慌ててあたりを見まわす。外の街灯の明かりが、カーテンを通してうっすらと差し込んでくる。自分の寝室だ。胸に手を当てると早鐘をうっていた。 また悪夢を見てしまった。
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