ピラミッドとエジプト人
一
「あら藤崎君、遊んでちゃだめよ」 美智子は目を三角にして青年をにらみつけた。 「いや、ちょっとした気分転換に」 青年はパズルの本を読んでいた。勤務中にさぼるなど、美智子にとってはもっての他だ。 「常盤さんも少し休憩した方がいいですよ。ほら、これ分かります?」 青年は開いたページを突き出した。 「なによ」 そこにはマッチ棒で「1+1=」という図形が描かれていた。 美智子は青年から本とボールペンを取り上げた。 「あっ!」 ページのすみに数式を書きつける。 1+1=10
「一足す一は十ですか?」 「その読み方は正しくないわね。読むとしたら一足す一はイチゼロかしら」 青年は狐につままれたような顔をした。 「これは数字を二進数で表した場合。じゃあこれは?」 1+1=1
「一足す一はイチ、でいいんでしょうか」 「この場合のプラスは論理和。読むとしたら一オア一は一かしら」 「あはは。常盤さん、数学の先生になれば良かったのに」 美智子はちぎれんばかりに首をふった。 「いやよ。絶対にいや。私、子供がうるさいの、大っきらい」 「ああ」 青年は口だけ半笑いで眉は八の字になっていた。 「要するに一とかプラスというのは数字や記号の定義でしかないのよ。だから一足す一は三でもかまわないし、百でもいいのよ。プラスという記号をそういうふうに定義すればいいんだわ」 「そんな。普通は一足す一は二じゃないですか?」 「いいえ。同じことよ。それも定義の一つだわ。数学というのは定義の上に組み立てられた美しい論理なの」 「あの、それ、あくまでも常盤さんの考えですよね」 「そのパズルだってそうだわ。どうせマッチを二本動かして別の文字を作るとか、そういうのなんでしょうけど、それだってそういう関数の定義だわ」 「そうかなあ。普通は一足す一は二っていうのは、一つのりんごと一つのりんごを合わせると二つになるっていう、そういうことだと思うんだけどなあ。そういうふうに習いませんでした?」 はたしてそうだろうか。美智子はその教え方には昔から疑問を持っていた。それは物理現象を数学で記述したということであって、数学そのものではないような気がする。 「じゃあ、二つのりんごと、三つのみかんを持ってきました。あわせていくつ?」 「え、五つじゃないんですか?」 「正解。それじゃあ、二つのりんごと、三本のボールペンを持ってきました。あわせていくつ?」 「それは……五個じゃないんですか?」 「それはおかしいわ。りんごとみかんの場合は、まだ同じ果物の範疇に入るからいいけど、りんごとボールペンの場合は、あくまで二つのりんごと三本のボールペンにしかならないんじゃないかしら。やっぱり、数学というのは関数とかそういうものの定義と、そこから導かれる論理なのよ。一つのりんごと一つのりんごを合わせると二つになるっていう、“例え”ではないわ」 「そうかなあ。現象を記述する方法として“一足す一は二”という表現が生まれたという気もしますけど」 「そう? それじゃあね」 さらに問題を出そうとする美智子の目のすみに、何かちらつく光が映った。 美智子はモニターの方に顔を向けた。 「先生は?」 「えっ? 先生? 先生の定義ですか」 「先生は所長室にいるの? 早く呼んできて!」
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