20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:眠れ、そして夢見よ 作者:時 貴斗

第29回   古代――現代 八
   八

「先生、来てください!」
 所長室の扉が勢いよく開き、美智子が真っ青な顔をして飛び込んできた。
「ん? どうしたの? まさか倉田さんが夢を見て、研究室に現れたなんて言わないだろうね」
「その通りなんです!」
 滝田は慌てて立ち上がった。美智子はすでに振り向いて走り出していた。
「手は? 足は? どんな色だった?」
 美智子を追いかけて廊下を走りながら尋ねる。
「まだ手も足も映っていませんが、倉田さんに違いありません」
「倉田さんは起きてるの? 寝てるの?」
「寝てます」
 美智子に続いて部屋に飛び込む。彼女が道をあけたので、そのままモニターの前まで走った。
 そして、その映像を見た時、背筋を氷でなでられるような感覚を味わった。
「ほら、いるでしょ。私達」
 美智子は凍りついた声で言った。
 倉田氏が室内を見回している。その中に、棒のように突っ立ってモニターを見つめている滝田と美智子の姿があった。ということは、姿は見えないものの、彼は現在この研究室の中にいるのだ。画面から推測すると、彼は入り口の近くにいるようだ。
 倉田氏は眼球運動をとらえるモニターの前に移動した。白い十字マークが右に行ったり左に行ったりしている。
 滝田は体をねじった。実物の眼球運動監視用モニターの十字も、同じように動いている。
「倉田さん、そこにいるんですか」
 無駄だと知りながら彼が立っているであろう方向に問いかける。彼は何の反応も示さない。
 滝田はマイクのスイッチをいれた。
「倉田さん、聞こえますか」
 これまた、無駄なことだった。枕元で倉田氏に呼びかけるなんていう試みは、何度もやってみた。
 倉田氏は十字マークを眼で追うことに飽きたらしい。視線がそのモニターから離れ、再び室内をただよいだす。
 夢見用ディスプレイの側面で止まる。そのまま注視している。この間のより小さくなったな、とでも思っているのだろうか。映像がゆっくりと移動していく。モニターの前で立ち止まった。倉田氏と滝田が重なった。恐ろしさのあまり思わず滝田は飛びのいた。
 この間と同じようにモニターの中にモニターが延々と並ぶ異常な画面が映し出された。だが今度は、そのディスプレイの列が静かに左に動いた。まるで奥に行くほどすぼまっている四角錐があって、その頂点をつまんで動かしているかのようだ。倉田氏が視線を右に動かせば、当然モニター達は左に動いていく。そして今度は右に動いた。さらに上に、下にと、倉田氏はこの奇妙な映像を楽しんでいるようだ。
 やがてそれにも飽きたらしく、見る方向が変わり始めた。ゆっくりと回転していく。斜め後ろから画面を見ている美智子の姿を映した。
「やだ、こっちに来るわ」
「落ちついて。下手に彼を刺激しないように」
 美智子の顔がアップになった。目と鼻の先に、倉田氏がいるはずなのだ。モニターの中の彼女の顔がわずかにふるえだし、額に一滴の冷や汗が流れた。
 さらに彼女に近づいていく。どうするつもりだろう。キスでもするのだろうか。
 美智子は毅然として腕を組んだまま立っていたが、ついに耐え切れなくなったらしく、横に飛びのいた。
「きゃっ」
 配線に足をひっかけて転んだ。床にくずれた彼女を映す映像が小刻みに、上下にゆれた。倉田氏は彼女をせせら笑っているのだ。
 反転し、画面を見つめる滝田を映した。滝田の体中に緊張が走り、石のように硬くなった。映像が滝田に近づいてくるにつれて、滝田の額にも冷や汗が流れた。
 もう滝田のすぐそばだ。滝田は彼の方に向き直った。硬い笑みを浮かべ、左手で拳を作って耳の下にあてがった。右手の人さし指を空中につき出し、いくつかのボタンを押す仕草をした。そして部屋のすみにある電話を手の平で示した。画面が素直にそっちの方に動いていく。
 ライトグリーンの電話機に、「どうかこの電話をとって下さい」という間の抜けた文句が書かれた紙が貼ってある。滝田はすかさず携帯を胸ポケットから取り出し、かけた。呼び出し音が鳴る。モニターの中で、倉田氏の青白い腕が伸びて受話器をとった。実物の電話機の受話器が宙に浮いているのを見て、滝田の全身に鳥肌が立った。
 おそるおそる、声をかける。
「倉田さん、聞こえますか」
「……」
 返事がない。滝田は自分ののどが鳴るのを聞いた。もう一度呼びかける。
「倉田さん、聞こえたら返事をしてください」
「そんなに私と話したいですか?」
 それは明らかに古代エジプト人の声音とは違う、倉田恭介氏本人の声だった。そのやや低い音声が耳に入った途端、滝田は背中に何百匹ものミミズが這い回るような感触を味わった。
「あまり時間がありません。単刀直入に言います。私達は倉田さんの夢をのぞき見していました。申し訳ありません」
「知っていましたよ」
 ああ、やはり。気まずい感情が滝田の中に流れた。
「私は頻繁にここに来ています。先生方の会話も聞いています。それで、私の夢をのぞき見しようとしていることを知りました」
 そうだったのか、と滝田は思う。かなりはっきりとした夢の場合にしか、夢見装置でとらえることはできない。倉田氏はもっと多く夢を見ていたのだ。
「すると、自分が古代エジプト人になっていることもご存知ですか」
「ええ。最初、誰の話かと思いましたよ。しかしどうやら私のことを言っているらしい。私はどうも大変な状態になっているようですね」
「古代エジプト人の時の記憶は残っていませんか」
「いいえ。私にもそんな自覚はありません。正直言って、自分がエジプト人になっているなんて、信じられないんですよ」
 倉田氏だ。今話しているのは、古代エジプト人とは完全に切り離された、倉田恭介氏本人なのだ。
「モニターを壊したのは、あなたですか」
「ええ。しかし私は、悪いことをしたとは思っていませんよ。これ以上、私の夢をのぞくのはやめてくれませんか。もうそっとしておいて下さい」
 さて、困った。やはり倉田氏には病院に帰ってもらうのが最良の道なのだろうか。本人がもう夢をのぞいてくれるなと言っているのだ。高梨を説得することはできるだろう。しかし、あきらめがつかない。なんとか調査を続けたい。それには理由が必要だ。
「しかし、病院の方ではあなたの病気はまったく原因不明で、それを解明する鍵は夢だと言っています。私達もなんとかあなたを救いたいんです」
 しばらく、言葉はなかった。倉田氏は次に何を言おうか考えているようだ。
「なぜ私を救うんです。私は夢の中でならなんでもできる。私が人間を殺せばその人は本当に死ぬ。私は銀行の大金庫に現れることもできる。私は、核ミサイルの施設に侵入し、核を発射することだってできる。そんな私を、どうして生かしておくんですか?」
 滝田は困った。そう言われてしまうと、倉田氏の存在は非常に危険であると言わざるを得ない。倉田氏が歴史を変えるととんでもないことになると考えたのは、滝田自身ではなかったか?
 一つの言い訳を思いついた。
「それは、あなたが大人だからです。子供は未熟だから、平気で殴り合いのけんかをします。自分の思い通りにならないからといって泣きわめきます。大人は、理性によってそれを抑えています」我ながらくさいな、と思う。「あなたのような特殊な能力を持っていない人でも、罪を犯すことはできるでしょう。警察に捕まるような犯罪はできないが、石を投げて窓ガラスを割って逃げるくらいはできるでしょう。どうして大部分の人はそれをしないんでしょうか? 人間には理性というものがあるからです。何をしてはいけないかが、分かっているからです。人の迷惑になることをしてはいけないという、自制心が働くからです。倉田さんは今までいくらでも時間があったはずなのに、どうしてさっき言ったような罪を犯さなかったんでしょうか? それは、倉田さんがそれをしてはいけないと、分かっているからです」
 再び緊張に満ちた沈黙が続いた。倉田氏は、つぶやくような低い声で言った。
「なるほど、分かりました。私も馬鹿ではないから、もしそんな真似をして後でどうなるかは分かっています。もしも私の病気が治って、目が覚めたら、そこには刑事が立っているかもしれませんね。約束しましょう。私は罪を犯しません。しかし、私の夢をのぞくのだけはやめてくれませんか」
 どうやら夢見装置を破壊してしまうような事態は避けられそうだ。しかし滝田は再び困った。なんとか調査が続けられるように持っていかなければならない。
「しかし、今のところ私達とあなたとをつなぐものは、この装置――夢見装置と言うんですが、これしかありません。これをやめたらあなたとのコンタクトが切れてしまいます。そうするとあなたを治してあげることができなくなってしまいます」
「いいんです。私はね、半分死んでいるようなもんですよ。私はまるで幽体離脱したみたいに、自分で自分の痩せ細った体を見るたびに、つらくてたまらなくなるんですよ。私が理性を保っていられる間はいい。しかし正気を失った時、私は何をしでかすか分かりませんよ?」
「あなたはやけになっているんです。つらいのは分かります。しかし、あきらめちゃだめです。病院と私達との必死の努力で、必ず助けてみせます」
「いいでしょう。では勝手に夢をのぞいてください。私はもう、ここへは現れませんからね。電話もとりません」
 すごい音をたてて電話が切れた。
「先生、夢が終わりました」と美智子が言った。
 滝田は肩を落とした。意気消沈して美智子の方に歩いていく。
 夢を調べたからといって治療できるわけではないと言ったのは、滝田ではなかったか? 高梨医師は単に名声を得たいがために、滝田達に調査を依頼したのではなかったか?
「僕って、ひどいやつかな」
 滝田はつぶやいた。


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 5164