七
「あれ? 藤崎君は休み?」と滝田は言った。 「ええ。昨日雨でしたでしょう? 山の方では大雨だったんですって。それで足止めをくったそうです」 「ああ、そういえば山登りに行くって言ってたな。常盤君はどっか行かないの?」 「私アウトドアは嫌いなんです」 「へえ。体に悪いよ。お肌にも良くないよ」 美智子はキーボードを打つ手を休める。 「あら、日光を浴びると、かえって肌の老化を早めるんですよ。太陽は有害なだけです」 日の光を受けた方が、健康のような気がするけどなあ、と滝田は思う。しかし美智子には反論しなかった。紫外線がどうのこうのと言い出すに決まっている。 滝田は黙って研究室を立ち去った。所長室に戻り、ゆっくりと椅子に座る。机の上にはアメリカの睡眠障害研究連合や睡眠精神生理センターから取り寄せた資料が大量に積んである。読みきれないうちにどんどん新しいのが届くのは喜ぶべきことなのだろうか。 滝田はその中から一番上のやつをつまみ上げた。英文がずらずら並んでいるのを見ていると嫌気がさす。こういうのも全部電子メールにすればよいのだ、と滝田は思う。そうすれば翻訳用アプリケーションで日本語に訳すことができる。もっとも、そういった類のソフトウェアは未だに誤訳が多いから、結局は元の英文と見比べながら読むことになるのだが。 資料を元の場所に放り、パソコンに向かい、メールが届いていないかチェックする。 高梨医師から一通来ていた。さっそくクリックする。内容はごく短いものであった。「滝田殿、倉田氏の件、状況はどうですか」という、たったそれだけのものであった。しかし、その一文は滝田の心にずっしりとのしかかってくるのだった。 返事をしなければ。報告に期限が決められているわけではないが、途中状況を知らせなければなるまい。スフィンクスとジェセル王のピラミッドの夢のことだけ報告するか。それならば無難だ。しかしそれだけでも、倉田氏が古代エジプト人になったという確証が得られたと言って、大騒ぎするかもしれない。 もうそろそろ倉田氏を返すべきなのだろうか、と滝田は考える。事実を知りたいという研究者としての欲求と、現実というしがらみとの間で、うまく折り合いをつけなければならない。第一、滝田の研究所にいる間に倉田氏の病状が悪化したりしたら、責任がとれない。 最小限のことだけ教えたとしても、高梨はすっかり喜んで、もっと研究を続けるよう要求してくるだろう。高梨のあやつり人形になるのはごめんだ。 調査を長引かせるのは得策ではない。こんなに長い間調べておきながら、二つしか夢が見られなかったのか、ということにもなりかねない。やはり、倉田氏にはもうそろそろ病院に戻ってもらった方がいいように思える。 しかし滝田は、その日の夜、倉田氏の夢の調査は続行すべきだと考えを変えた。倉田氏がまた研究室に現れたのだ。
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